アラン・ムーア
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子供向けのメディアと見なされていた1980年代の米国コミックに文学性を持ち込み、文化的な地位を向上させたことで知られる[6][7][8]。代表作『ウォッチメン』はスーパーヒーロー・ジャンルの再解釈と洗練された語りによって後世に多大な影響を与えた。
概要

1970年代後半に英国アンダーグラウンド出版物カウンターカルチャー色の強いコミックを描き始めた。原作者に転向して 2000 AD や Warrior などのSFコミック誌に寄稿するようになると、スーパーヒーロー・コミックを現代的に再定義する『マーベルマン』(1982年)や政治スリラーVフォー・ヴェンデッタ』(1982年)で名を上げた。1983年に米国の大手出版社DCコミックスに起用され、『ザ・サガ・オブ・スワンプシング』誌を皮切りにスーパーマンのようなメジャーなキャラクターを手掛けてスター作家となり、米国コミックが英国的な感覚を取り入れて発展する流れを作り出した。コミック史に残る成功を収めたオリジナル作品『ウォッチメン』(1986年)や『バットマン: キリングジョーク』(1988年)はヒーローの内面描写や社会的な観点を導入してジャンル全体の行方に影響を与えた。

1980年代末からは『ウォッチメン』の著作権を獲得できなかったことなどが理由でDC社を離脱し[9]、スーパーヒーロー・ジャンルを中心とするメインストリーム・コミック界[注 3]にも背を向けて、自己出版や小出版社での活動を中心にし始めた。歴史と社会の総体を描いた『フロム・ヘル』(1989年)や、児童文学ポルノグラフィを組み合わせた Lost Girls(1991年)はアート志向の野心作だった。その後、新興のスーパーヒーロー系出版社イメージ・コミックスを経てアメリカズ・ベスト・コミックス(英語版)という出版レーベルを立ち上げ、ヴィクトリア朝文学から登場人物を借りた『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』(1999年)や、神秘学による精神の解放を描いた『プロメテア』(1999年)など[11]、創作や集合的想像力をテーマとする作品を残した[12]。キャリア後半にはコミック業界やファンダムに対して批判的な姿勢を強めていき、2019年にコミック原作を引退した。小説家としては2016年の長編 Jerusalem など新作の発表を続けている。

ムーアはポップカルチャーで引用されることが多く[13][14]、文芸家や映像作家への影響も大きいことで知られている[15][16]。奇人としても有名である[17]神秘主義者[18]、儀式魔術師(英語版)、アナキスト[19]でもあり、作品の多くでこれらのテーマを扱っている。神秘学関連の前衛的スポークン・ワード公演を行うこともある。自作のハリウッド映画化には否定的だが、その意思に反して『フロム・ヘル』(2001年)、『リーグ・オブ・レジェンド』(2003年)、『Vフォー・ヴェンデッタ』(2005年)、『ウォッチメン』(2009年)などが公開されるに至っている。
来歴
生い立ち: 1953年?1978年ムーアはノーサンプトン(写真)の貧しい地区で生まれ育ち、高校をドロップアウトした。
[20歳前後のころ] ずっと自分は特別なんだ、重要な人間なんだと思っていた。… 自分の状況がどれほどひどいか分かっていなかった。とにかくなんとしても社会に報復するという考えがあった[20]

1953年11月18日、ノーサンプトンに生まれる[21]。共に暮らす家族は醸造所に勤める父アーネストと印刷労働者の母シルヴィア、弟、そして迷信深いが威厳あるヴィクトリア朝風の女家長[22]こと母方の祖母だった[23]労働者階級の一家は17世紀以前から代々当地に住んでいた[24]フレスコ画を生業にしていた父方の曾祖父は放蕩家で[25]、パブでカリカチュアを描いて支払いの代わりにしていたという[26]。しかしムーアの両親の代には芸術や文学とは無縁だった[27]

ムーアの生家は屋外便所の古い建物だったが、電気が通っているだけ恵まれている方だった[28]。ノーサンプトンの「バロウズ[注 4]」地区は英国でも有数の貧困地域で[29]、識字率が低く公共サービスも乏しかったがその住民とコミュニティには愛着を持った[30]。幼いムーアは金銭的な豊かさより優先すべきものがあると教えられた[26]コミックス・スタディーズ研究者ジャクソン・エアーズは[31]、ムーアは労働者階級の育ちを通じて共同体主義、個人の対等、自主自律の感覚をバランスよく身に着けたと書いている[32]

5歳で読むことを覚え、地元の図書館に通った[33]。高度な教育を受けなかった両親も息子には読書を勧めた[34]。ムーアはSF、魔術、ファンタジー神話伝説のように現実から離れたジャンルを好んでいた[35]。初等学校に入学するころコミックを読み始めた[36]。The Topper や The Beezer のような英国の週刊コミック誌を手始めに、やがて貨物船の底荷として米国から流れてくる『フラッシュ』『ディテクティヴ・コミックス』『ファンタスティック・フォー』などを漁るようになった[37]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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