アラン・ムーア
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しかし自身でもその出来に満足しておらず、ファンの好みを推し量りすぎて新しいものを書けなかったと言っている[285][注 34]。ある評者は、絶頂期にメインストリームを離れるという決断によって、1980年代のムーアが体現していたポップなエネルギーが霧散したと論じた[287]

次に請け負ったロブ・ライフェルド(英語版)の『スプリーム(英語版)』(1996年)はスーパーマンの亜流でしかないキャラクターだった[288][289]。ムーアはここで、キャリアの初期で手掛けたスーパーヒーロー作品のように徹底した再構築を行った。しかしリアリズムを強調する代わりに、1960年代のいわゆる「アメリカン・コミックスのシルバーエイジ(英語版)」期の牧歌的なスーパーマンをそっくり真似た[277][289][290]。その上でメタな視点を取り入れ、アメリカのスーパーヒーロー神話への回帰と、当時のコミックシーンの批評を行ったのである[289][291]。『スプリーム』はムーアにとって数年ぶりに内容と売上の両面で成功をおさめた[292]。1997年には『スプリーム』と『フロム・ヘル』の両作によってアイズナー賞原作者部門を受賞した。エアーズはこれがムーアにとって商業性と作家性の両立を果たした象徴的な出来事だったと書いている[293]
アメリカズ・ベスト・コミックス: 1999年?2008年詳細は「:en:America's Best Comics」を参照

ロブ・ライフェルドのスタジオが経営不振によって出版活動を中止すると、ムーアは仕事を失った共作者のために複数の新シリーズを企画し始めた[294]。イメージ共同経営者の一人ジム・リーがそれらを引き受け、自身のワイルドストーム(英語版)社にムーアが統括するレーベルアメリカズ・ベスト・コミックス(英語版)(ABC) を設立した。しかしその直後、リーはABCを含むワイルドストーム社をDCコミックスに身売りした。このときリーは事情を説明するため自らイングランドに赴き、ムーアがDCと直接やり取りしなくて済むようにすると請け合った[295]。DCによる買収の目的は、ワイルドストームが保有するIPやデジタル彩色技術のみならず、ムーアを再び確保するところにあったと見る向きがある。少なくともムーア自身はそう信じていた[295][296]。間接的にであれDCと再び関わるのは本意ではなかったが、多くの同業者を巻き込んでいたため後戻りはできず、ABCは計画通り出版を開始することになった[297]リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』ではネモ船長(図)を始めとするヴィクトリア朝文学キャラクターが「怪人連盟」として英国の危機に立ち向かう[298]

ムーアがABCでやろうとしたのは、スーパーマンがデビューした1930年代以前の作品から抽出してきたエッセンスによってレトロであると同時にアヴァンギャルドな何かを作り出し、コミックの想像力の源泉と可能性を指し示すことだった[299]。ABCから最初に刊行された『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』(1999年。以下「リーグ」)[注 35]ヴィクトリア朝時代の冒険小説の世界に「アベンジャーズ」のようなヒーローチームのアイディアを適用した作品だった[300]。Tom Strong(1999?2006年)はドック・サヴェジのようなパルプ小説ヒーローをモデルにした作品で[301]、過去一世紀にわたるトム・ストロングの冒険はコミックの歴史へのオマージュでもある[301]。『トップ10』(1999年)[注 36]は住人全員がスーパーヒーロー風の能力を持っている世界の刑事ドラマ[301][302]、ポップカルチャーからの引用やギャグがストーリーと調和した熟練の一作だと評されている[303]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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