5歳で読むことを覚え、地元の図書館に通った[33]。高度な教育を受けなかった両親も息子には読書を勧めた[34]。ムーアはSF、魔術、ファンタジー、神話や伝説のように現実から離れたジャンルを好んでいた[35]。初等学校に入学するころコミックを読み始めた[36]。The Topper や The Beezer のような英国の週刊コミック誌を手始めに、やがて貨物船の底荷として米国から流れてくる『フラッシュ』『ディテクティヴ・コミックス』『ファンタスティック・フォー』などを漁るようになった[37]。労働者階級の現実から一歩も出ない英国コミック誌に比べて[38]、米国のヒーローコミックに描かれる大都市は未来世界のように見えた[39][40]。数年のうちにヒーローの活躍よりも作品の仕掛けや作者の意図に興味を持ち始め[41]、自身でもコミックを描き始めると友人に回覧して小銭を集めては子供支援団体に募金した[26][42]。
初等学校時代、学力と体格に優れたムーアは自己肯定感にあふれちょっとした神様気取りだった。中等教育に進むにあたってイレブンプラス(英語版)試験に合格し、大学進学者向けの上位校(グラマースクール)への入学資格を得た[42]。そこで初めて教育の高い中流階級と出会い、首席の優等生から最底辺になったことを知って衝撃を受けた[43]。やがて学校を嫌うようになり、勉強にも興味を持てず、公教育には子供に時間順守、服従、退屈への順応を教え込む隠されたカリキュラムがあると考えるようになった[44]。
1960年代後半から黎明期のコミックファンジンで詩やエッセイ、イラストレーションを発表し始め、ファン活動を通じて後の共作者の多くと知り合った[21][45][46][注 5]。その中でもスティーヴ・ムーア(英語版)(血縁なし)からは、後のコミック界入りや魔術への入門で大いに影響を受けることになる[48]。当時の英国ファンダムはヒッピー文化色が強く、ムーアの人格形成には1960年代のカウンターカルチャーが深く根差された[45]。ムーアは学校でも詩の同人誌 Embryo(→胚、萌芽)を出したが[49][50]、「マザーファッカー」という言葉を載せたことが元で校長から発禁にされた[51]。
1971年、ティモシー・リアリーの思想に影響を受けて校内で幻覚剤LSDを売買したことでグラマースクールを放校された[52][53][54]。校長は近隣の学校に通達を出し、ムーアが在校生の風紀に悪影響を与えるから入学させないように伝えたという[52][55]。