アラン・ムーア
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同年に刊行されたチャリティ・コミック AARGH [注 24]には、ロバート・クラムら錚々たるコミック作家の寄稿に加えて[220]、同性愛の歴史を綴ったムーアの詩 The Mirror of Love が掲載されていた[注 25][220][224]。政治的な主張を込めた同書の出版はムーアにとって転機となった[225]。続いて、米国中央情報局 (CIA) を相手取った連邦訴訟に関わっていた公益法律事務所クリスティック・インスティチュート(英語版)の依頼を受けて、CIAの非合法活動を告発する Shadowplay: The Secret Team[注 26]を書いた。内容はクリスティックが提供した大量の調査資料に基づいていた[226]。徹底した取材によって実在の事件を作品化する経験はその後の執筆活動に影響が大きかった[226][227]。Shadowplay はクリスティックが刊行したアンソロジー Brought to Light(→白日の下へ)(1988年、エクリプス刊)で発表された[228][注 27]

1990年、コミック自己出版の伝道者デイヴ・シム(英語版)に触発されて自身のマッドラブから Big Numbers を発刊した[230]。『ウォッチメン』に続く代表作として構想された同作は[216]、生地ノーサンプトンをモデルにした英国の地方都市を舞台に、巨大ビジネスが一般人に与える影響とカオス理論[注 28]の概念を組み合わせた社会的リアリズム作品だった[233][234]。読者を選ぶ題材だが、全12号×大判40ページという大部の構想で、ビッグネームのビル・シンケビッチが作画を担当するとあってファンの期待も高かった[235]。しかし2号が出た時点でシンケビッチがフォトリアリスティックなペイントアートという方針を維持できなくなり、作画を降りた[236][237]。ムーアの奔走にもかかわらず、続刊は出なかった。この失敗はファンの失望を招き[235]、ムーアにも大きな金銭的損失をもたらした[238]。ムーアの心境は翌年に書籍出版社ビクター・ゴランツ(英語版)から書き下ろされたグラフィックノベル[注 29] A Small Killing [注 30]に反映されている[241][242]。広告会社の重役が理想家だった少年時代の自分自身に取りつかれ、一線から退いて新しい目的を探すという内容である[243][244]。同作はあまり部数が伸びず[245]、「もっとも過小評価されているムーア作品」とされることがある[170][246]イングランド人の外科医サー・ウィリアム・ガルは『フロム・ヘル』で切り裂きジャック事件の犯人とされた。

過去の共作者スティーヴン・ビセットが自己出版するアンソロジーコミック誌 Taboo では、内容に制約を受けることなく性や暴力、政治や宗教といった題材を自由に追求することができた[247]。ムーアが同誌で行った連載の一つ目は、1880年代の切り裂きジャック事件をフィクション化した『フロム・ヘル』(1989年)[注 31]である。数多くの歴史的・社会的テーマを取り込んだ芸術志向の野心作だった[248]。Taboo は短命に終わり、『フロム・ヘル』は小出版社からコミックブック形式で続刊が出た[249]。しかしDC期のように締め切りに束縛されなくなったことで各号の執筆期間は延びていき、新刊を追い続けるのも困難な状況にファンも離れていった[250]。『コミックス・ジャーナル』の論説によると、カジュアルな読者を拒絶するかのようなムーアの行動は半ば意図的なものだった[251]。1999年、10年越しに完結した『フロム・ヘル』は単行本化と映画化を経て名作としての評価が確立している[249]

Taboo で開始されたもう一つの作品 Lost Girls(1991年)はムーアによると知的なポルノグラフィだった[252][253]。作中では、セックスのアンチテーゼとしての世界大戦の前夜、成長した児童文学の女主人公たちがウィーンのホテルに集い、互いに性の目覚めを物語る[254]。原典の内容は性体験のメタファーとして解釈される[255]。ムーアはティファナ・バイブルロバート・クラムを例に挙げて非主流のコミックにポルノの伝統があると主張しており[256]、芸術的水準の高いポルノ・コミックを作ることを一つの挑戦と考えていた[257][258]。Lost Girls は Taboo 廃刊後に出版の当てがないまま書き続けられ、2006年に完成するとトップシェルフ(英語版)から刊行された[259](作画のメリンダ・ゲビーとムーアはその翌年に結婚した[26])。児童ポルノと受け取られうる内容を含むものの、おおむね芸術的価値が認められて各国で出版・販売が実現し、高い評価を得ている[260]。同年にムーアはポルノグラフィの歴史をたどる論説を発表し、社会の活力は性的な寛容さによって決まると論じて公の評価に耐える新たなポルノの必要性を訴えた[261]。このテーマは2009年の評論本 25,000 years of Erotic Freedom(→性の自由の2万5千年史)に発展した[262]


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