作品の著作権の問題はその後も尾を引き続けた。米国のコミック界では作者のオリジナルな作品やキャラクターでも出版社が著作権を保有するのが一般的だが、当時のDCコミックスはクリエイターの権利を拡大していく方針を取っており[209]、『ウォッチメン』と『Vフォー・ヴェンデッタ』の契約書には「作品が絶版になれば著作権は作者に復帰する」という条項が加えられていた。しかし、年数が経っても2作が絶版になることはなかった[196][210]。ムーアはこれを裏切りとみなした[211]。 メジャー出版社に背を向けたムーアは[212]、自分の書きたいテーマはSF冒険ものやスーパーヒーローのジャンルには収まりきらないと公言し[213]、それらのジャンル作品で確立したポストモダンな作風を社会的な作品に適用し始める[214]。しかし大手出版社・取次から離れた執筆活動は順調に行かず、一般コミックファンからの関心は薄れていった[215][216]。ムーアは後に振り返ってこの時期を原野行の時代[216]一大私的作品期[217]と呼んでいる。 1988年にムーアは個人出版社マッドラブを設立した。エイズ禍が高まる中でマーガレット・サッチャー政権が提出した反同性愛法案「第28条
インディペンデント期とマッドラブ: 1988年?1993年
1990年、コミック自己出版の伝道者デイヴ・シム(英語版)に触発されて自身のマッドラブから Big Numbers を発刊した[230]。『ウォッチメン』に続く代表作として構想された同作は[216]、生地ノーサンプトンをモデルにした英国の地方都市を舞台に、巨大ビジネスが一般人に与える影響とカオス理論[注 28]の概念を組み合わせた社会的リアリズム作品だった[233][234]。読者を選ぶ題材だが、全12号×大判40ページという大部の構想で、ビッグネームのビル・シンケビッチが作画を担当するとあってファンの期待も高かった[235]。しかし2号が出た時点でシンケビッチがフォトリアリスティックなペイントアートという方針を維持できなくなり、作画を降りた[236][237]。ムーアの奔走にもかかわらず、続刊は出なかった。この失敗はファンの失望を招き[235]、ムーアにも大きな金銭的損失をもたらした[238]。ムーアの心境は翌年に書籍出版社ビクター・ゴランツ(英語版)から書き下ろされたグラフィックノベル[注 29] A Small Killing [注 30]に反映されている[241][242]。広告会社の重役が理想家だった少年時代の自分自身に取りつかれ、一線から退いて新しい目的を探すという内容である[243][244]。