アラン・ムーア
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やがて編集部からの評価が高まり、1985年の「他に何を望もう(英語版)」[注 19]でDC最大のスーパーヒーローの一人であるスーパーマンを書く機会を与えられた[159]。続いて1986年に大ベテランの作画家カート・スワン(英語版)と共作した「何がマン・オブ・トゥモローに起こったか?」は、『クライシス・オン・インフィニット・アース』でDCの作中世界が全面的にリニューアルされるにあたって、旧バージョンのスーパーマンのフィナーレとして企画された記念碑的作品だった[160][161]。同作は時代遅れとなったスーパーヒーローへの懐古的な賛歌であり、心に残る名作として何度も再刊されることになる[162][163]。評論誌『コミックス・ジャーナル(英語版)』は当時ムーアを今もっとも売れているわけではないとしても、間違いなくもっとも尊敬されている原作者と呼んだ[164]

1986年に刊行開始され、翌年に単行本化された全12号のオリジナルシリーズ『ウォッチメン[注 20]はムーアの名声を不動のものとした[165]。同作は優れたヒーローコミックであると同時に核戦争の前兆に包まれた冷戦時代のミステリであり[166]、スーパーヒーローの存在を踏まえた歴史改変SFでもあった[167]。この作品は一般にスーパーヒーローという概念に対するポストモダン脱構築を行ったと見られており[168]コミック史研究者レス・ダニエルズ(英語版)はこのジャンルが基本的な前提としてきたものに疑問を投げかけたと書いている[169]。構成や表現様式の洗練も際立っており[170]、グレッグ・カーペンターによると当時のムーアが持つ技法の粋が集められている[171]。『ウォッチメン』はコミックの域を超えて読書界やアカデミズムから大きな注目を浴びた[172]。SFのヒューゴー賞を最初に受賞したコミック作品でもある[173]。広くムーアの最高傑作とみられており、あらゆるコミックの中で最高の名作と呼ばれることもある[174]。時代の近い『バットマン: ダークナイト・リターンズ』(フランク・ミラー)、『マウス』(アート・スピーゲルマン)と並んで、1980年代後半の米国コミックが大人向けの内容に移行する流れの一端でもあった[175]

ムーアは『ウォッチメン』によってポップアイコンになりかけ[176]、1987年にはドキュメンタリー番組 Monsters, Maniacs and Moore の主役となった[177]。しかしやがて個人崇拝を嫌ったムーアはファンとの関りを減らすようになり、コンベンションへの参加も止めた[178]

1988年、作画家ブライアン・ボランドの誘いを受けて『バットマン: キリングジョーク』を共作し[179]バットマンと宿敵ジョーカーをトラウマに憑りつかれた表裏一体の存在として描いた[180]。フランク・ミラーの『ダークナイト・リターンズ』や『イヤーワン』と並んでバットマンのキャラクターを再定義した重要作品であり[181][182]ティム・バートンクリストファー・ノーランによる映画版にも影響を与えている[180][183]


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