小説家・コミック原作者ニール・ゲイマンは駆け出しジャーナリストだったころに『スワンプシング』の影響を受け、ムーアに直接教えを乞うてコミックの道に進んだ[618]。二人はそれ以来の友人である[619]。ムーアと後妻メリンダ・ゲビーを引き合わせたのもゲイマンだった[610]。
ムーアは執筆活動の他にはほとんど趣味を持たないが、小説家アリスター・フルーシュ(英語版)と共に散歩する習慣がある[620]。フルーシュとは21世紀に再結成されたノーサンプトン・アーツ・ラボの成員同士でもある[621]。 コミック原作者グラント・モリソン
グラント・モリソン
モリソンは1990年のコラムで、ムーアのスーパーヒーロー作品が1977年に英国で出版された Superfolks(→スーパーな人々)というユーモア小説からヒントを得ていると指摘した[注 53]。ムーアは同書からの影響は特別に大きなものではないと発言しているが、盗用説は根強く残っている[625][624]。
2012年には『ローリング・ストーン』誌のインタビューで「ムーアはレイプに執着しており、レイプが出てこない作品は一握りしかない」と発言した[626]。翌年、「女性や人種的マイノリティの描写に関する批判」について反論を求められたムーアは、自らモリソンの名前を出し、作品や人格を激しく批判し、自身のストーカーだと呼び、モリソンの共作者・出版社・ファンと絶縁すると宣言した[358][356]。 ムーアは自身のコミック作品が映画化不能だと常々語っており[627]、公開された原作映画を公然と酷評している[628]。メディア・フランチャイズ化が当然の前提となっている21世紀のアメリカン・コミックにおいて、このような姿勢は珍しい[629][注 54]。 ムーアの映画化に対する考え方はハリウッドとの関わりが増すにつれてどんどん辛辣なものになっていった[628]。初期の『フロム・ヘル』(2001年)や『リーグ・オブ・レジェンド』(2003年)はいずれも原作から大きく改変されていたが[630]、これらについては映画を見ずにすんで関りを持たずにいられて、オプション料が入ってくる限り、誰も原作と映画を混同したりしないと思って気にしなかったと語っている[631]。ムーアの姿勢が硬化したのは、2003年に映画製作者マーティン・ポール
思想・信条
映画化
ムーアはその後、著作権を手放したコミック作品に自分の名前を載せない意向を示した。さらに映画化されても自身の名前を出さず、原作料も受け取らないと発言した[640]。それ以降の映画『コンスタンティン』(2005年)、『ウォッチメン』(2009年、ワーナー)、『ウォッチメン』(2019年、HBOドラマ)ではこの希望が守られ、ムーアへの原作料は替わりにコミックの作画家に支払われた[26][401][641]。2012年のインタビューにおいて、映画化に協力しなかったことで逃した金額を尋ねられたムーアは「少なくとも数百万ドル」と答え、こう続けた[642]。目の前で自分に値段をつけさせない、どれだけ金を積まれても一歩だって自己の原則を譲らない、たとえ実際上の意味がないとしても。そんな風に思える誇らしさは金では買えないからな。—アラン・ムーア(2012年)[642]
これらの態度は奇矯さや自我肥大の現れと見られることもある[643]。マーク・ヒューズは『フォーブス』誌への寄稿で、「リーグ」や Lost Girls で古典文学のキャラクターを借用しているムーアが自作の翻案については認めないのを完全な偽善と批判した[644]。
政治的傾向ムーアの宿敵[645]、マーガレット・サッチャー(2011年のグラフィティ)。
政治的にはアナキストを自認している[19]。ムーアは英国労働党による福祉国家政策が確立した1950年代に生まれ育ち[646]、若いころは自身の属する労働者階級に素朴な社会主義的理想を重ねていた[647]。