アラン・ムーア
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来歴
生い立ち: 1953年?1978年ムーアはノーサンプトン(写真)の貧しい地区で生まれ育ち、高校をドロップアウトした。
[20歳前後のころ] ずっと自分は特別なんだ、重要な人間なんだと思っていた。… 自分の状況がどれほどひどいか分かっていなかった。とにかくなんとしても社会に報復するという考えがあった[20]

1953年11月18日、ノーサンプトンに生まれる[21]。共に暮らす家族は醸造所に勤める父アーネストと印刷労働者の母シルヴィア、弟、そして迷信深いが威厳あるヴィクトリア朝風の女家長[22]こと母方の祖母だった[23]労働者階級の一家は17世紀以前から代々当地に住んでいた[24]フレスコ画を生業にしていた父方の曾祖父は放蕩家で[25]、パブでカリカチュアを描いて支払いの代わりにしていたという[26]。しかしムーアの両親の代には芸術や文学とは無縁だった[27]

ムーアの生家は屋外便所の古い建物だったが、電気が通っているだけ恵まれている方だった[28]。ノーサンプトンの「バロウズ[注 4]」地区は英国でも有数の貧困地域で[29]、識字率が低く公共サービスも乏しかったがその住民とコミュニティには愛着を持った[30]。幼いムーアは金銭的な豊かさより優先すべきものがあると教えられた[26]コミックス・スタディーズ研究者ジャクソン・エアーズは[31]、ムーアは労働者階級の育ちを通じて共同体主義、個人の対等、自主自律の感覚をバランスよく身に着けたと書いている[32]

5歳で読むことを覚え、地元の図書館に通った[33]。高度な教育を受けなかった両親も息子には読書を勧めた[34]。ムーアはSF、魔術、ファンタジー神話伝説のように現実から離れたジャンルを好んでいた[35]。初等学校に入学するころコミックを読み始めた[36]。The Topper や The Beezer のような英国の週刊コミック誌を手始めに、やがて貨物船の底荷として米国から流れてくる『フラッシュ』『ディテクティヴ・コミックス』『ファンタスティック・フォー』などを漁るようになった[37]。労働者階級の現実から一歩も出ない英国コミック誌に比べて[38]、米国のヒーローコミックに描かれる大都市は未来世界のように見えた[39][40]。数年のうちにヒーローの活躍よりも作品の仕掛けや作者の意図に興味を持ち始め[41]、自身でもコミックを描き始めると友人に回覧して小銭を集めては子供支援団体に募金した[26][42]

初等学校時代、学力と体格に優れたムーアは自己肯定感にあふれちょっとした神様気取りだった。中等教育に進むにあたってイレブンプラス(英語版)試験に合格し、大学進学者向けの上位校(グラマースクール)への入学資格を得た[42]。そこで初めて教育の高い中流階級と出会い、首席の優等生から最底辺になったことを知って衝撃を受けた[43]。やがて学校を嫌うようになり、勉強にも興味を持てず、公教育には子供に時間順守、服従、退屈への順応を教え込む隠されたカリキュラムがあると考えるようになった[44]

1960年代後半から黎明期のコミックファンジンで詩やエッセイ、イラストレーションを発表し始め、ファン活動を通じて後の共作者の多くと知り合った[21][45][46][注 5]


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