アラブ首長国連邦の歴史
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アメリカの仲介を受け、2020年8月にはイスラエルとの国交正常化に合意した[16]。同年9月15日にはイスラエルとの国交正常化の覚書に署名し(バーレーンと同日)、イスラエルが進める中東・北アフリカイスラム圏諸国との国交樹立の先駆けとなった。その後、互いに大使館や航空機直行便を開設して、イスラエルからのダイヤモンド輸入など貿易を拡大。イスラエル国民の多くを占めるユダヤ教徒の戒律に則った食事(カシュルート)に対応するレストランがドバイに開店し、ホロコーストについての展示会が中東イスラム圏では初めて開催され、関係が深化している。ただし、パレスチナ問題でのイスラエルの行動に対する批判は根強い[17]
日本との関係詳細は「日本とアラブ首長国連邦の関係」を参照

在アラブ首長国連邦日本人が企業関係者を中心に4,000人弱いるほか、少ないながらも在日アラブ首長国連邦人がいる。

駐日アラブ首長国連邦大使館は東京都渋谷区にある。

住所:東京都渋谷区南平台町9-10

アクセス:JR山手線渋谷駅南口
詳細は「駐日アラブ首長国連邦大使館」を参照

UAE大使館全景

UAE国旗と玄関

国家安全保障詳細は「アラブ首長国連邦軍」を参照

アラブ首長国連邦軍は陸軍、海軍、空軍の三軍を有する。このほかに沿岸警備隊がある。湾岸戦争の際はクウェート奪還に戦力を提供した。
軍事協定先

湾岸協力理事会 - アラブ首長国連邦のほかサウジアラビア、バーレーン、オマーン、カタール、クウェート。

フランス - 1995年、防衛協定を締結。2009年、アラブ首長国連邦フランス軍敷地が開設された。

大韓民国 - 2009年、アラブ首長国連邦が有事になった際に韓国が参戦する自動介入条項のある秘密軍事協定が締結された[18]

エリトリア - 2015年、アラブ首長国連邦初の海外軍事基地をアッサブに開設した[19][20][21]

ソマリランド - 2017年に軍事基地の開設が合意された[21]

地方行政区分アラブ首長国連邦の各首長国。黄色の部分がアブダビで、突出して面積が広い。茶色の部分はドバイである。詳細は「アラブ首長国連邦の首長国」を参照

アラブ首長国連邦は以下の7首長国から構成されている。各首長国の国名はそれぞれの首都となる都市の名前に由来しており、最大の国であるアブダビ首長国の首都のアブダビが、連邦全体の首都として機能している。ただ近年は、外国資本の流入によるドバイの急激な発展によって、政治のアブダビ、経済のドバイと言われるようになってきている。アブダビとドバイ以外は国際社会ではあまり著名でない。複数の都市で構成されるアブダビなど(ただし、いずれも首都が圧倒的人口比率を占める)と、単独都市がそのまま首長国となっているドバイなどの、二つのタイプの構成国がある。
連邦を構成する7首長国

アブダビ首長国

ドバイ首長国

シャールジャ首長国

アジュマーン首長国

ウンム・アル=カイワイン首長国

フジャイラ首長国

ラアス・アル=ハイマ首長国

主要都市詳細は「アラブ首長国連邦の都市の一覧」を参照

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地理詳細は「アラブ首長国連邦の地理」を参照アラブ首長国連邦の地図ドバイ近郊の砂漠地帯

アラビア半島の南東部にあり、ペルシア湾とオマーン湾に面している。国土の大部分は、平坦な砂漠地帯であり、南部には砂丘も見られる。東部はオマーンと接する山岳地帯であり、オアシスがある。南部はサウジアラビア領に広がるルブアルハリ砂漠の一部であり、リワなどのオアシスがある。ホルムズ海峡(海峡に臨むムサンダム半島北端はオマーン領)に近いということで、地政学上、原油輸送の戦略的立地にある。国民のほとんどは沿海地方に住む。また7首長国のうち、フジャイラを除く6国は西海岸(ペルシア湾)に、フジャイラは東海岸(オマーン湾)に位置する。砂漠気候(BW)のため、年間通じて雨はほとんど降らないが、冬季に時折雷を伴って激しく降る事がある。ペルシア湾に面し海岸線が長いことから気温の日較差は小さい。11?3月は冬季で、平均気温も20℃前後と大変過ごしやすく、観光シーズンとなっている。6?9月の夏季には気温が50℃近くまで上昇し、雨が降らないにもかかわらず、海岸に近いため湿度が80%前後と非常に高くなる。ドバイの平均気温は23.4℃(1月)、42.3℃(7月)で、年降水量は60mm。

アブダビ首長国に属し、内陸部の同国東部のオマーン国境にあるアル・アインとオマーン領のブライミは隣接したオアシスであり国境線は複雑に入り組んでいるが、オマーンの入国管理局はブライミよりずっとオマーン寄りに設けられており、両都市間の移動に支障はない。

南部の油田地帯を含むサウジアラビアとの国境は1974年の条約によって一時確定し、これによりアラブ首長国連邦はアル・アイン周辺の数村をサウジアラビアから譲り受ける代わりにカタールとアブダビとの間のペルシア湾に面した地域を割譲して、アラブ首長国連邦とカタールとは国境を接しなくなった。しかし2006年にアラブ首長国連邦政府はふたたび割譲した地域の領有権を主張し、紛争が再燃した。
国民詳細は「アラブ首長国連邦の人口統計(英語版)」を参照

国籍 2010年

アラブ首長国連邦国籍  13%
外国籍  87%

人口推移
年人口±%
195070,000?    
196090,000+28.6%
1970232,000+157.8%
19801,016,000+337.9%
19901,809,000+78.1%
20003,033,000+67.7%
20107,512,000+147.7%
出展:国連 世界人口推計[22]

住民は、在来のアラブ人からなるアラブ首長国連邦国籍の国民(英語でエミラティス(英語版)と呼ばれる)は全体の13%を占めるに過ぎない。その他は外国籍の住民であり、他のアラブ諸国から来た人々や、イラン人、南アジア系50%(インド人140万人、パキスタン人バングラデシュ人スリランカ人)、東南アジア系(フィリピン人)、欧米系、東アジア系の人々などがいる。


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