1799年に露米会社が勅許を受けたことによりロシア領アメリカが成立。1804年、シトカの戦い。19世紀前半にロシアは植民を行い、露米会社がアザラシなど海洋動物の毛皮を採集していたが、運送費がかさむこと、乱獲による海洋動物の激減により毛皮事業がなりたたなくなっていた。
なお、アラスカはかつてロシア領だったために正教徒の割合が他州に比べて高く、現地語のうちの幾つかがロシア人宣教師によってはじめて文字化された。[要出典]
アメリカ時代
アラスカ県詳細は「アラスカ県」を参照
クリミア戦争後の財政難などの理由による資金調達のため、1867年にクリミア戦争の中立国であったアメリカ合衆国に720万ドル(1km2あたり5ドル)で売却された(アラスカ購入)。この交渉をまとめたのは国務長官であったウィリアム・H・スワードである。このことは当時のアメリカ国民から「スワードの愚行」「巨大な冷蔵庫を買った男」などと非難されたが、その後豊富な資源が見つかったり、アラスカが(主に旧ソ連に対する)国防上重要な役割を果たすことが分かり、現在では高く評価されている。
アラスカ地区詳細は「アラスカ地区」および「クロンダイク・ゴールドラッシュ」を参照
1896年カナダのユーコン準州で金が発見された[8]。その後、アラスカのノームやジュノー、フェアバンクスでも金鉱が発見され、アラスカのゴールドラッシュが始まり、何万人もの金探鉱者がアラスカとカナダのユーコン準州に集まった。フェアバンクスなどはこの時代に町としての形をなした。フランク安田の生涯を描いた『アラスカ物語』はこの時代を舞台としている。
アラスカ準州アッツ島の戦いで雪や氷と戦うアメリカ軍兵士、1943年5月詳細は「アラスカ準州」を参照
1941年からアメリカも参戦した第二次世界大戦中には、州内の島しょ部が日本軍に占領されたほか、ダッチハーバーにあるアメリカ海軍の基地が日本海軍機の空襲を受けた。 1959年、アメリカの49番目の州に昇格した。1950年代の東西冷戦の時代には、アラスカを水爆実験場にしようという計画が持ち上がったが、自然保護運動の高まりの中、中止に至った。 1968年アラスカの北部のプルドーベイで、ARCO アラスカ州はアメリカ合衆国の他の全ての州の海岸線を合わせたよりも長い海岸線を持っている[9]。北アメリカにある州として唯一本国とは飛び地になっており、ワシントン州との間には約500マイル (800 km) にわたってカナダのブリティッシュコロンビア州がある。アラスカ州はlower 48と呼ばれるアメリカ合衆国本土(主要部分)の一部ではない[10]。専門的には合衆国大陸部(continental U.S.)の一部とされるが、日常的にはそう見なされないことが多い。州都ジュノーは北米大陸にあるが、道路で北アメリカハイウェイシステムの他の部分とは繋がれていない。 アラスカ州は東をカナダのユーコン準州とブリティッシュコロンビア州と接し、南はアラスカ湾と太平洋、西はベーリング海、ベーリング海峡およびチュクチ海、北は北極海に面している。
アラスカ州
地理