アメリカ=メキシコ国境
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メキシコと1836年に建国されたテキサス共和国の両国が主張した国境周辺には当時誰も居住していなかったが、その不確かさは1846年から1848年の米墨戦争の契機となった。

その前の合意には、メキシコ独立戦争の間にアメリカ合衆国とスペインヌエバ・エスパーニャ)で結ばれた1819年のアダムズ=オニス条約があり、1803年のルイジアナ購入後の境界を定義した。「メキシコ革命」、「棍棒外交」、「en:Border War (1910?19)」、「第一次世界大戦」、「ツィンメルマン電報」、「バナナ戦争」、「チャミサル紛争」、および「パンチョ・ビリャ遠征(英語版)」も参照
不法入国者カリフォルニア州国境近くの標識。過酷な日照、有毒のガラガラヘビ、砂漠、水難のイラストと共に、スペイン語で「注意!あなたの命を自然の脅威に晒さないで。そのような危険を冒す価値はありません!(この先)飲料水なし」と書かれている。

アメリカ=メキシコ国境は、合法、非合法を合わせて、世界で最も多い数の横断が行われている。両国の距離的な近さと、境界の両側での生活水準の違いはこれらの移住を促進している。毎年100万人以上の不法入国者がいると見られ、その8割はメキシコ人である。残りは中米からの人々で、メキシコ人以外(Other Than Mexicans, OTM)と呼ばれている。

カリフォルニア大学デービス校の移民の専門家によると、アメリカの農業人口の45%は不法移民だという。国境巡視隊の活動は、広い範囲でフェンス越えが実行されているサンディエゴエルパソなど、国境の大都市周辺に集中した。この大都市圏への監視の集中により、不法移民は田舎の山岳地帯や砂漠地帯から入国を試みるようになり、これによって多くの死亡者を生んだ。
国境警備の問題メキシコ国境のアメリカ側で警戒に当たる合衆国国境警備隊サン・イシドロ国境検問所(2016年)

境界のほぼ全域は、アメリカ合衆国連邦政府の様々な巡視員が警備している。1990年代、アメリカ陸軍の人員が、アメリカ=メキシコ国境沿いに配備され、不法な外国人と麻薬密業者の流入を食い止めた。これらの軍隊は赤外線監視装置やヘリコプターを駆使し、国境警備隊と共同で警備にあたった。不法入国者の密輸組織「コヨーテ」が使用していたところは往来がなくなり、一時的ながら密輸業者と不法入国者は一掃された。

しかし、効果的に思われたこの警備だが、アメリカ軍が撤収すると、またすぐに不法入国が再開された。2001年の9.11テロの後、アメリカ合衆国は警備策として国境に兵士を配備した。このとき、赤外線スコープを搭載した、わずか100機のヘリコプターと良好な装備を持った数百名の兵士で、国境を封鎖できるという意見があった。

しかし反対者は、アメリカ軍が国境を巡回することは、民兵隊壮年団法(英語版)[注釈 1]に違反すると主張した。もっと現実的な者は、国境を完全に封鎖することは不可能で、さらに頑丈で強大な軍が投入され、不法入国に恐らく深刻な影響を与えるだろうと考えた。

アメリカの各州は州兵(National Guard)組織を持ち、原則として、州知事の判断で国境の警備のために配置することが可能である。また、一部の州は緊急時には州防衛軍(State Defense Force)という名の警備隊を動かすことができる。しかしながら、ほとんどの州知事は、地域の企業と、大きくなっていく在米メキシコ人コミュニティの反発を恐れて実行しなかった。

アリゾナ州およびニューメキシコ州は、現在のところ、制御できないほどの不法移民の流入による深刻な状態にあるを公表し、その結果、両州の知事は州兵を国境に配置することができた。しかし、アリゾナ州共和党元上院議員ジョン・マケインは、施行によって不法移住を軽減しようとしているいくつかの法案に反対し、合法化(多くは恩赦)を勝ち取る法案を上院で提案した。

2006年5月、アメリカ合衆国元大統領ジョージ・W・ブッシュは、最大6,000名の州兵が、国境警備隊を支援するための施設を境界に設置する計画を発表した。この計画に反対したのは、カリフォルニア州知事のアーノルド・シュワルツェネッガーで、当初はカリフォルニア州=バハカリフォルニア州の境界に3,000名の州兵を配置するブッシュの要求を拒絶した[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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