アメリカ連邦裁判所
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アメリカ合衆国連邦裁判所(アメリカがっしゅうこくれんぽうさいばんしょ、: United States federal courts)は、アメリカ合衆国における連邦政府司法府であり、合衆国憲法と法律の下で組織された裁判所のシステムである。最高裁判所(連邦最高裁)と各種の下級裁判所(控訴裁判所、地方裁判所等)から成る。

の設置・運営する州裁判所コロンビア特別区政府と同様に連邦議会が設置するコロンビア特別区裁判所とは別の機関で、独立した制度を構成している。具体的には、州裁判所は主に州法に関する事件を、連邦裁判所は主に連邦法に関する事件を管轄している(#管轄参照)。
役割と司法権の独立連邦最高裁にある正義の女神像

連邦最高裁とその下に設置される下級裁判所は、合衆国憲法3条によってアメリカ合衆国の司法権を与えられた組織である[1]。公平かつ公正に事実認定及び法の解釈を行い、法的な紛争を解決することを責務としており、特に合衆国憲法によって与えられた権利自由を守るという役割を持つことから、「憲法の番人」と呼ばれる[2]

合衆国憲法は三権分立の制度をとっており、立法権を担う連邦議会行政権(執行権)を担う大統領、司法府である連邦裁判所がそれぞれ独立性を有するとともに、相互に監視・牽制しあうチェック・アンド・バランスのシステムが成立している。

連邦議会は、(1)憲法3条に基づく下級裁判所を設置し、裁判所の管轄権を規定し、各裁判所の裁判官の定数を定める権限、(2)大統領の指名した連邦裁判官候補者を上院が承認する権限、(3)連邦裁判所の予算の承認権を有する。また、大統領は、連邦裁判官候補者を指名し、上院の承認の下に任命する権限を持つ。そのほか、連邦裁判所は、刑事事件の訴追や民事事件での連邦政府の代表を行う司法省、法廷警備や裁判官の警護を行う連邦保安官、連邦裁判所に建物を提供する連邦調達庁 (General Services Administration) など、各種の行政機関と密接な関係を持っている[3]

しかし、同時に、司法には市民の自由を守るという使命があることから、裁判の遂行がこれらの政治権力によって歪められないよう、司法権の独立を保障するための憲法の規定が設けられている。第1に、憲法3条に基づいて任命された連邦裁判官は、終身の任期を保障されており、反逆罪、収賄罪その他の重罪・軽罪により連邦議会の弾劾を受け、有罪の裁判を受けた場合以外は罷免されることがない。第2に、憲法3条の裁判官は、在職中、報酬を減額されることはない[4]違憲審査権を確立したマーベリー対マディソン事件判決を顕彰して連邦最高裁の壁に刻まれた銘文。

一方、連邦裁判所は、1803年マーベリー対マディソン事件判決[注釈 1]以来確立した違憲審査権の行使を通じて、連邦議会の制定した法律や行政府の行為に対する統制を行っている。

州との関係では、連邦最高裁は州裁判所からの上訴管轄権を有する(後述の裁量上訴)とともに、州法に対しても合衆国憲法に反しないかの違憲審査権を行使し得るとの判例が確立している[注釈 2]。また、州法が連邦法と抵触する場合には、連邦法が国の最高法規 (supreme law of the land) であると定める合衆国憲法6条2項によって、州の法律は無効とされる[5]。したがって、連邦裁判所(特に最高裁)は、州政府の立法や行政について、合衆国憲法や連邦法の観点から統制を行う役割を有しているといえる。一方で、ほとんどすべての事件について一般的な事物管轄を有する州裁判所と異なり、連邦裁判所の事物管轄権は一部の事件に限られており(後述)、また、契約法不法行為法など、州法の規律する広い領域については、連邦裁判所は州法に従うべきものとされている(後述のエリー原則)。
沿革「合衆国最高裁判所#歴史」も参照合衆国憲法の署名(1787年)。

アメリカ独立後、連合規約1781年発効)の時代には、アメリカ連合は、捕獲審検所を設けることができるほか、邦間の境界争いについてアドホックに裁判機関を設けることができたが、常設の通常裁判所は持たなかった[6]

1788年に発効した合衆国憲法では、合衆国の司法権は、一つの最高裁判所及び連邦議会が設置する下級裁判所に帰属することが定められた(合衆国憲法3条1節)。しかし、合衆国憲法制定の過程では、一審の裁判は州裁判所で行うべきであって憲法で連邦下級裁判所を設けることは州の裁判権に対する無用の干渉であるという意見が多数を占めた結果、憲法には連邦下級裁判所を設立することが「できる」との規定を置くにとどまり、実際にこれを設立するか、設立するとすればどのような構造のものかは、未解決の問題として残されていた。また、憲法で認められた連邦裁判所の管轄権のうちどの範囲まで法律で与えるかも、未解決であった[7]1789年裁判所法(1頁目)。

この問題を決着すべく連邦議会が制定したのが、1789年の裁判所法 (Judiciary Act) であった。同法は、最高裁判所を1名の長官(首席判事)と5名の陪席判事によって構成されることとし、同時に、下級裁判所として地方裁判所 (District Court) と巡回裁判所 (Circuit Court) を設置した。地方裁判所は一審裁判所であり、当時の11州を13の地区 (district) に分け、各地区に一つずつ置かれた。各地方裁判所に、1名の地方裁判所判事 (district judge) が置かれた。巡回裁判所は、合衆国を三つの巡回区 (circuit) に分けて各巡回区に一つずつ置かれるもので、地方裁判所からの上訴事件を扱うほか一定の事件について一審管轄権を有していた。巡回裁判所には専属の裁判官がおらず、最高裁の6名の裁判官が2名ずつ3巡回区に分かれ、最高裁の開廷期外に馬車や馬で各地を巡回して現地の地裁判事とともに3名で裁判を行った。このように下級裁判所を相当数設置することにしながらも、これらの下級裁判所には、憲法で許容されていたはずの連邦問題事件の管轄権は与えられず[注釈 3]、地方裁判所は主に海事事件を、巡回裁判所は主に州籍相違事件を一審として取り扱った[8]

1801年裁判所法で六つの巡回区ができ(これと同時に、いったんは巡回区判事 (circuit judge) の職が新設され最高裁裁判官は巡回の任から解放されたが、この点は1802年裁判所法ですぐに元通りに戻された)、その後合衆国の領土が拡大するにつれ、巡回区の数及びそこを巡回するための最高裁裁判官の数も増加した。1869年、連邦裁判所に係属する事件数の急増に応じて、連邦議会は当時あった九つの巡回区に巡回区判事の職を新設し、巡回区判事、最高裁裁判官又は地方裁判所判事、あるいはその組み合わせにより巡回区の裁判を行うことができるようにした。1891年に巡回控訴裁判所(circuit court of appeals、現在の控訴裁判所)が設けられると、上訴管轄権は巡回控訴裁判所に移管されるとともに巡回区判事も同裁判所に割り当てられ、巡回裁判所は地方裁判所と並ぶ一審裁判所としてしばらく存続した後、1911年に廃止された[9]

一方、1891年に新設されて上訴管轄権を引き継いだ巡回控訴裁判所は、連邦最高裁の上訴事件処理の負担を減らすために設けられたものであり、当時九つの巡回区に一つずつ置かれた。1925年裁判所法及びそれに続く立法で、巡回控訴裁判所の上訴管轄権は拡大し、連邦の行政委員会の判断に対する上訴も取り扱うようになった。1929年には第10巡回区が設けられ、1948年に巡回控訴裁判所は現在の控訴裁判所へと名前を変えた。さらに1980年には第11巡回区が設けられ、1982年には連邦巡回区控訴裁判所が設けられた[10]
管轄

連邦政府は合衆国憲法に定められた権限のみを行使し得る政府であることから、連邦裁判所が事物管轄 (subject matter jurisdiction) を有する事件、すなわち連邦裁判所が取り扱うことのできる事件の種類も、合衆国憲法(3条2節1項)に定められたものに限られる[11]

合衆国憲法3条2節1項には、連邦裁判所の取り扱うことのできる事件として次のものが限定列挙されている。

合衆国憲法、連邦法及び合衆国の条約の下に発生するすべての事件(連邦問題)

大使その他の外交使節及び領事に関するすべての事件

海事事件

合衆国が当事者である争訟

州の間の争訟

州と他州の市民との間の争訟ただし、一州の市民が原告となり、他州を被告とする訴訟は、憲法修正11条により連邦裁判所の管轄から外されている。

異なる州の市民の間の争訟、及び州(又はその市民)と外国(又はその市民・臣民)との間の争訟(州籍相違)


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