アメリカ統合参謀本部
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1903年になると、セオドア・ルーズベルト大統領により陸海軍合同会議(Joint Army and Navy Board)が設置された[4]。これは陸軍参謀本部と海軍将官会議(General Board)の代表者および主務担当者で構成され、陸海軍の競合する問題について助言を行うこととされた。しかし、この会議は陸軍長官および海軍長官から提起された問題についてのみ助言を行うこと[4]、会議の決定を実行させる権限を有さなかったこと、立案能力が低かったことにより、有効には機能しなかった。第一次世界大戦に際しても機能しなかった[4]

1919年に陸海軍両長官は合同会議を再編することにし、構成委員を見直している。両軍の作戦立案実務者が加えられたほか、会議の下に合同計画委員会(Joint Planning Committee)が設けられ、会議自身がイニシアチブを取ることができるようになった。

1941年12月、第二次世界大戦にアメリカ合衆国が参戦すると、1942年にイギリスとの間で連合参謀本部(CCS)が設置された[5]。イギリスには三軍の統合指揮調整機構として参謀長委員会(CSC)が設置されていたが、アメリカの陸海軍合同会議にはそれに相当する権能がなく、カウンターパートには不適であった。

1942年7月にウィリアム・リーヒがアメリカ陸海軍最高司令官付参謀長(Chief of Staff to the Commander in Chief, U.S. Army and Navy)[6]に任命され、ジョージ・マーシャル陸軍参謀総長アーネスト・キング合衆国艦隊司令長官兼海軍作戦部長ヘンリー・アーノルド陸軍航空軍司令官を加えて、統合指揮調整機構かつ連合参謀本部のアメリカ側代表である統合参謀本部(Joint Chiefs of Staff)が設置された[5]。最高指揮官たる大統領の補佐も行っていたが、公的な位置付けは曖昧であり、法的な裏付けはなかった[5]。1947年の国家安全保障法により、合同会議は廃止され[4][7]、統合参謀本部は明確な法的裏付けを得た。

1986年のゴールドウォーター=ニコルズ法により、統合参謀本部が再編され、統合参謀本部議長の権限が強化され、副議長職も設置された[8]

州兵総局長を統合参謀本部メンバーに昇格させる旨を盛り込んだ2012年国防権限法(National Defense Authorization Act for Fiscal Year 2012)が成立、これにバラク・オバマ大統領が署名したことで、2011年12月31日付でメンバーに加わった[9]。次いで、2020年国防権限法(National Defense Authorization Act for Fiscal Year 2020)に基づき、2019年12月にアメリカ宇宙軍が独立した軍種として編成されると、1年後の2020年12月から宇宙軍作戦部長がメンバーとして追加された[10]
構成メンバー

役職写真氏名軍種
統合参謀本部議長
Chairman of the Joint Chiefs of Staffチャールズ・ブラウン・ジュニア大将
Charles Quinton Brown Jr. アメリカ空軍
統合参謀本部副議長
Vice Chairman of the Joint Chiefs of Staffクリストファー・W・グレィディ大将


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