アメリカ統合参謀本部議長
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2006年に、ピーター・ペース海兵隊大将が海兵隊出身者では初めて議長に選ばれたことでこの慣習は打破された。2015年にはジョセフ・ダンフォードが、海兵隊総司令官経験者として初めて議長になっている。

在任中に元帥となった初代のオマー・ブラッドレーを除き、階級は大将であるが、軍の統合指揮向上のため、1990年代には元帥職とすることが検討されていた[8][9][10]
権限

ゴールドウォーター=ニコルズ国防総省再編法の施行以前は、統合参謀本部議長は統合参謀本部の意見のまとめ役に過ぎなかった。大統領及び国防長官に提出する軍事的助言は各軍参謀長たちの合意に基づくものでなければならず、実質的権限はあまりなかった。しかし、同法では議長を「主たる軍事顧問」と認めており、従って議長は参謀長たちの合意にかかわらず大統領、国防長官に直接自分自身の意見を助言することができるようになった。統合参謀本部は実働部隊の指揮権限は持っておらず、指令は国防長官から各統合軍司令官に下される。同法の施行後に初めて統合参謀本部議長に就任したのがコリン・L・パウエルである。
歴代議長

代写真氏名階級在任期間出身校前職後職備考
着任退任
1
オマー・ブラッドレー陸軍大将(在任中に元帥に昇進)1949年8月16日 1953年8月15日 陸軍士官学校陸軍参謀総長朝鮮戦争時の議長。
2アーサー・ラドフォード海軍大将1953年8月15日1957年8月15日海軍兵学校太平洋艦隊司令長官
3ネーサン・トワイニング空軍大将1957年8月15日1960年9月30日陸軍士官学校空軍参謀総長
4ライマン・レムニッツァー陸軍大将1960年10月1日1962年9月30日陸軍士官学校陸軍参謀総長欧州軍総司令官兼NATOヨーロッパ連合軍最高司令官ベトナム戦争ピッグス湾事件時の議長。
5マクスウェル・テイラー陸軍大将1962年10月1日1964年7月1日陸軍士官学校陸軍参謀総長駐南ベトナム大使キューバ危機時の議長。
6アール・ホイーラー陸軍大将1964年7月3日1970年7月2日陸軍士官学校陸軍参謀総長ベトナム戦争時の議長。
7トーマス・モーラー海軍大将1970年7月2日1974年7月1日海軍兵学校海軍作戦部長ベトナム戦争時の議長。
8ジョージ・ブラウン空軍大将1974年7月1日1978年6月20日陸軍士官学校空軍参謀総長
9デイヴィッド・ジョーンズ空軍大将1978年6月21日1982年6月18日ノースダコタ州マイノット州立大学中退空軍参謀総長
10ジョン・ヴェッシー・ジュニア陸軍大将1982年6月18日1985年9月30日ローズヴェルト高校中退[注釈 1]陸軍副参謀総長グレナダ侵攻時の議長。
11ウィリアム・クロウ・ジュニア海軍大将1985年10月1日1989年9月30日海軍兵学校太平洋軍司令官駐イギリス大使
12コリン・パウエル陸軍大将1989年10月1日1993年9月30日ニューヨーク市立大学シティカレッジ予備役将校訓練課程(以下ROTC)陸軍総合戦力集団(現・陸軍総軍)司令官国務長官黒人、ジャマイカ移民二世。


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