アメリカ空軍
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アメリカ空軍(アメリカくうぐん、: United States Air Force, 略称: USAF)は、アメリカ軍航空部門。アメリカ合衆国空軍、あるいは単に合衆国空軍、ほかに米空軍とも呼ばれる。任務は「アメリカ合衆国を防衛し、航空宇宙戦力によってその国益を守ること」である。
概説

空軍設立前は、海軍に属さない航空戦力は陸軍が受け持っていたが、国家安全保障法の策定により陸軍より独立、1947年9月18日に設立された。設立から今日まで、世界各地の多くの戦争紛争に関与してきた歴史がある。2000年代現在、アメリカ空軍は7,000機以上の航空機を運用する世界最大の空軍であり、世界各地に空軍基地をもつ。

戦闘機爆撃機輸送機大陸間弾道ミサイルなどを擁し、制空・航空攻撃・物資輸送・核抑止能力保持が任務の中心である。また、軍事衛星打ち上げ・運用においても中心的な役割を果たしている。対潜哨戒機および艦載機アメリカ海軍攻撃ヘリコプターおよび長距離地対空ミサイルはアメリカ陸軍の管轄となり、それらは有していない。アメリカ合衆国本土が仮想敵国から離れていたこともあり、前方への戦力展開と侵攻戦闘能力を重視し、基地と空中給油機の活用により東南アジア中東をはじめ事実上、世界各地への航空攻撃能力を有する。相対的に本土防空任務の割合は低く、それは予備兵力が主体となっている。
歴史

アメリカ陸軍に航空機部門 (Aeronautical Division) が創設されたのは1907年のことである。これは陸軍通信隊 (Signal Corps) の中の一部門であった。通信隊内に設立されたのは気球部隊が通信隊の職掌にあったからであった。1914年に航空機部門は航空部 (Aviation Section) に改編されている。
第一次世界大戦

1917年、アメリカ合衆国が第一次世界大戦に参戦した。航空部隊も拡充を図り、1918年5月に軍事航空機部門 (Division of Military Aeronautics)、続いて5月24日にアメリカ陸軍航空部 (U.S. Army Air Service, USAAS) に改編された。

陸軍航空部は人員20万名を擁し、アメリカ遠征軍 (America Expeditionary Force, AEF) の一部として、特にサンミエルの戦いとムーズ・アルゴンヌの攻勢において、アメリカ陸軍に戦術的支援を行った。エディ・リッケンバッカー大尉とフランク・ルーク大尉などがエース(撃墜王)となった。

1926年、陸軍航空部は、アメリカ陸軍航空隊 (U.S. Army Air Corps, USAAC) に改編された。この時期、航空隊は新技術の実験を開始した。B-9の開発、初の全金属製単葉爆撃機であるB-10の開発、そして新型戦闘機の開発などが行われた。1937年にはB-17 フライングフォートレスが初めてその姿を現した。航法技術の大きな進歩によって、3機のB-17がイタリアの客船レックスを海上で捕捉することに成功した。
第二次世界大戦

次なる変化は第二次世界大戦によってもたらされた。1941年、アメリカ陸軍における陸軍地上軍 (U.S.Army Ground Forces) と対等の部門として、アメリカ陸軍航空軍 (U.S.Army Air Forces; USAAF) が設置された。この時点で陸軍航空隊は陸軍航空軍の下位部局と位置づけられていたが、1942年3月9日に発効した大規模な軍再編成の折に組織として統合された。陸軍航空軍は地上部隊に従属しない作戦指揮権を持つようになり、陸軍地上軍や海軍と同等の発言力を持つに至った。
欧州戦線
ヨーロッパにおいて、アメリカ陸軍航空軍は昼間爆撃を開始した。統合参謀本部では英国空軍の計画立案者たちが反対したが、それを押し切ってのことだった。合衆国の戦術は、戦闘機の護衛なしに昼間のドイツ上空に爆撃機を何十機も緊密に編隊飛行させ、爆撃機同士が互いに装備する機銃・機関砲でハリネズミのように防衛し合うというものであったが、部分的な成功しか収められなかった。ルーマニアのプロイエシュチにある精油所、ドイツ中部のシュヴァインフルトボールベアリング工場、ドイツ南部のレーゲンスブルクにあるメッサーシュミット工場への爆撃作戦では、多くの爆撃機が撃墜され、おびただしい数の搭乗員が戦死した。長大な航続距離を誇るP-51マスタング戦闘機が爆撃機の護衛に参加するようになると、爆撃機搭乗員の戦死者は減少した。1944年、2月20日から25日にわたるビッグウィーク (Big Week) と呼ばれる1週間に、連合軍は「アーギュメント」作戦を行い、ドイツ空軍は熟練のパイロットを失った。
太平洋戦線
太平洋戦線において陸軍航空軍は、中国内陸部から飛び立ったB-29スーパーフォートレスによって日本本土を攻撃した。この爆撃行の兵站支援行動は空輸によって行われ、ヒマラヤ越え(ハンプ越え)として有名である。重い爆弾と燃料の両方を運搬せねばならず、さらにジェット気流中の高高度飛行がB-29の航続距離に影響した。1944年にサイパンの航空基地を確保し本格的な日本本土空襲が開始されると、当時の司令官であるヘイウッド・ハンセル准将は高々度からの軍事拠点への爆撃を行ったが、効果が薄いという軍上層部の判断で解任される。後任として、英国第8爆撃軍団第3航空師団司令官、インド・カラグプルで第20爆撃集団司令官を歴任したカーチス・ルメイ将軍が第21爆撃集団司令官として1945年1月20日グアムに赴任すると、爆撃戦略が切り替えられた。それまでの高高度からの精密爆撃を止めて、低高度からの焼夷弾爆撃へと変更されたことで、分散した日本の工業地帯を破壊するだけにとどまらず、多くの都市が壊滅的な被害を受け、たとえば東京大空襲では1晩で10万人以上が死亡した。B-29はまた、1945年8月に、原子爆弾を日本の広島市長崎市に投下した。
第二次世界大戦後

ハリー・S・トルーマン大統領が国家安全保障法に署名し、陸軍航空軍は陸軍より独立し、アメリカ合衆国空軍省が設立された。1947年9月18日、連邦最高裁判所長官フレッド・M・ヴィンソンがスチュアート・サイミントンの初代空軍長官への就任宣誓を承認したことでここにアメリカ空軍が正式に始動した。

1948年東ドイツの共産主義政権は、イギリス・アメリカ・フランスの管理下にあった西ベルリンへの道路を封鎖した。このため、西ベルリンでは、生活必需品の不足など、市民生活に多大な支障が生じた。このため、空輸軍団がC-121 コンステレーションC-54 スカイマスターなどの輸送機によって生活必需品をはじめとする大量の物資の空輸を行った(ベルリン空輸)。
朝鮮戦争

1950年6月25日朝鮮戦争が始まると、アメリカ空軍はただちに自国民を退避させた。しかし、アメリカ極東空軍(現存しない軍団)は韓国・金浦の拠点空軍基地を失った。その結果、孤立した釜山の守備部隊に対して、日本から飛び立って近接航空支援を行わなくてはならなくなった。


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