アメリカ横断ウルトラクイズ
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^ 最大の影響として、1985年(昭和60年)9月のプラザ合意による急激な円高や、1988年(昭和63年)12月からのアメリカ観光渡航ビザ免除協定発効、またそれらと並行して起きたバブル景気などが挙げられる。
^ もともとはその後も開催される予定であったが、翌年1993年に開催取りやめが決定したため、結果的にこの第16回が最終となった。また、ウルトラが放送されていた『木曜スペシャル』自体も同年度末の1994年3月31日に終了となった。
^ ただし、福留の著書『ウルトラクイズ伝説』では便宜上「第17回」と表現されている。
^ a b c d e アメリカ横断ウルトラクイズ クイズ王の本(クイズ王の会・編、日本テレビ・刊 1987年7月)p.191 - 192
^ 北川宣浩『TVクイズ大研究』 ⇒第7章 特別番組 アメリカ横断ウルトラクイズ
^ a b c 週刊現代講談社)2015年7月11日号「プレイバック『アメリカ横断ウルトラクイズ』」(p.204)
^ 1986年・第10回準優勝者で現在は作家の西沢泰生による。“【アメリカ横断ウルトラクイズ裏話】絶体絶命! 本番中に思わず「カメラを止めてください!」と言いそうになった瞬間とは?”. fumufumu news. 主婦と生活社 (2023年5月13日). 2023年5月14日閲覧。
^ 稀にそうでないケースも存在する。第1回では敗者は勝者と同じ列車で罰ゲーム会場まで移動した例があり、第6回アラスカでは敗者の罰ゲームとして砂金取りをしたが、その砂金は勝者が取りに来て勝者の手に渡ったため敗者は勝者と接触しており、第7回オルバニーでは罰ゲーム中の敗者の乗った飛行機から勝者と福留が攻撃され勝者と敗者が戦闘状態になったり、第12回サンフランシスコでは勝者への弁当配達が罰ゲームの一部であったため勝者と敗者の接触が存在、第14回レイクミシガンではクイズの形式上から勝者と暫定敗者の再接触などが存在した。
^ ただし一部のチェックポイントでは開始時間について事前予告をしていたこともあった。
^ 今世紀最後(第17回)では第8チェックポイント・テキサスから準決勝地・ニューヨークに向かう機内で挑戦者4名がアイマスクをさせられ、ニューヨークに到着後もアイマスクをつけた状態で行動することになった。準決勝・通せんぼクイズの勝者2名だけがアイマスクを外すことを許されニューヨークの摩天楼を見ることができ、敗者2名はアイマスクをつけたまま摩天楼を見られず強制帰国となった。
^ 現地のスケジュールの都合による。第11回ではニュージャージー(ジャージーシティ)での準決勝とニューヨークでの決勝戦が同日収録だった。第14回では、車で数分の距離ながら時差のある2つの州の州境をまたいだ2箇所で「バック・トゥ・ザ・フューチャークイズ」が行われた。
^ 特に、『木曜スペシャル』スポンサー(全日空キヤノン花王など)の同業社の社員が出場した時に披露するのが多かった(第5回の日本航空社員、第12回のニコン社員、第13回のライオン社員など。特にニコン社員は「キヤノン」をあだ名としてサンパウロまで進出した)。
^ 第8回第8CP、第9回第1CP、第10回第1CP(この時は事実上の罰ゲーム)、第12回第4CPなど
^ その後福留は第12回大会でブラジルにも訪問した。
^ カナダへはチェックポイント以外にも第7・11回と2度優勝賞品授与地として訪れている。
^ 第9回準決勝のドーバーでは2連戦でのクイズが行われたため3ヶ所としてカウントした。
^ 第9回は本国、第14回は仏領ポリネシア・タヒチを訪問。14回のタヒチでは2連戦でのクイズが行われたため3ヶ所としてカウントした。
^ バハマへはチェックポイント以外にも第10回北米コースでクイズ開催はなかったがオフで訪れている。
^ アイオワ州にはチェックポイントが設置されたことはなかったが第14回ではバスツアーの道中で通過している。
^ ただし、第8回第1週・第13回第5週・第14回から第16回までの第1週は19時からの2時間枠だった。
^ ただし第16回はこの回を以てレギュラー大会が終了したため再放送されなかった。
^ 関東地区での再放送は1983年2月5日に『ビッグサタデー』枠で再放送したが、枠を13:00 - 14:25及び14:30 - 16:00に拡大し(中断中は『NNNニューススポット』を放送)、本放送が3時間18分であるのに対し、再放送は2時間55分であるため、内容を再編集して放送された。
^ その挑戦者は第1回の機内ペーパークイズ4位の成績で機内1位の松尾に2対3で敗れ、第3回では機内2位を成績を収めるも機内5位の宗田に1対2で逆転負けを喫した。
^北日本新聞』1989年12月27日付朝刊、テレビ欄。
^ 大門弘樹『QUIZ JAPAN vol.1』セブンデイズウォー、2013年、45頁。ISBN 978-4907601003。 
^ ファミリー劇場 史上最大!第12回アメリカ横断ウルトラクイズ
^ “『ウルトラクイズ』全17回赤字だった 小倉淳らが裏事情明かす”. ORICON STYLE (2014年5月9日). 2015年12月29日閲覧。
^ “徳光和夫、福留功男に憎まれ口「とくだん好きではない」”. ORICON STYLE (2014年12月15日). 2015年12月29日閲覧。
^ “「ニューヨークへ行きたいかー」…「徳光」が語る「福留」との“確執”『ウルトラクイズ』舞台裏”. 産経ニュース. (2015年1月2日). https://web.archive.org/web/20160304092656/http://www.sankei.com/entertainments/news/150102/ent1501020001-n1.html 2015年12月29日閲覧。 
^ クイズ見るならファミリー劇場
^ “視聴者参加型クイズのモンスター番組「アメリカ横断ウルトラクイズ」、庶民の夢かなえた“とんでも企画”だった…ニューヨークへ行きたいか!(2/3ページ) - 【テレビクイズの60年(3)】”. 産経WEST. 産経新聞社. p. 2 (2014年1月3日). 2016年3月4日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2015年12月29日閲覧。
^ a b 株式会社QBQ 編 『プレイステーションクソゲー番付』マイウェイ出版発行、2018年。ISBN 978-4-8651-1834-6。pp. 38-39。
^ さらに、実際には アラブ首長国連邦ドバイにも訪れたが、不法撮影の被疑で強制退去となったため、放映されなかった。
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