アメリカ文学
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ヨーロッパに来た魅力的なアメリカ人少女を描いた小説『デイジー・ミラー』(Daisy Miller[28])や謎のような怪談『ねじの回転』(The Turn of the Screw[29])がまだとっつきやすい作品である。
世紀の変わり目アーネスト・ヘミングウェイ、第一次世界大戦の軍服姿

20世紀の始めにアメリカの小説家は小説の社会的領域を上流から下流まで広げていき、時にはリアリズムの自然はにも結びついた。エディス・ウォートン(1862年 - 1937年)は短編や小説で、彼女が育ったアメリカ東海岸の社会である上流階級を観察した。その傑作の中でも『無知の時代』(The Age of Innocence[30]、1920年)は、魅力ある部外者よりも伝統的で社会的に受容される女性との結婚を選ぶ一人の男を主題にしている。これと同じ頃、南北戦争の小説『赤い武功章』(The Red Badge of Courage)で知られたスティーヴン・クレイン(1871年 - 1900年)は、『街の女マギー』(Maggie:A Girl of the Streets、1893年)でニューヨークの娼婦の生涯を描いた。またセオドア・ドライサー(1871年 - 1945年)は『シスター・キャリー』(Sister Carrie、1900年)でシカゴに移転し、愛人になる田舎娘を描いた。ハムリン・ガーランド(1861年 - 1940年)とフランク・ノリス(1870年 - 1902年)は自然主義者の観点からアメリカの農夫の抱える問題など社会的問題について書いた。

さらに直接に政治的な書物が社会問題と企業の力を論じた。エドワード・ベラミー(1850年 - 1898年)の『顧みれば』(Looking Backward)のような作品では別に考えられる政治や社会の枠組みを描いた。アプトン・シンクレア(1878年 - 1968年)は食肉加工業を題材にした小説『ジャングル』(The Jungle [31])で最も有名になったが社会主義を提唱した。その他この時代の政治的作家としては、エドウィン・マーカハム(1852年 - 1940年)、ウィリアム・ボーン・ムーディ(1869年 - 1910年)がいた。イーダ・ターベル(1857年 - 1944年)やリンカーン・ステフェンス(1866年 - 1936年)などジャーナリスト批評家はマクレイカー(醜聞を暴く人)と渾名された。ヘンリー・ブルックス・アダムズ(1838年 - 1918年)も教育制度と現代生活を辛辣な表現で描いた。

スタイルや形態における実験が主題における新しい自由さに加わってきた。1909年、ガートルード・スタイン(1874年 - 1946年)はパリの海外居住者となっていたが、キュビスムジャズなど当時の美術と音楽の動きに親しんだことで影響された革新的小説である『3人の女』(Three Lives[32])を出版した。 スタインは1920年代と1930年代をパリで暮らしたアメリカ文学の著名人集団を「失われた世代」と名付けた。

詩人のエズラ・パウンド(1885年 - 1972年)はアイダホ州で生まれたが、成人してからの生涯の大半をヨーロッパで過ごした。その作品は複雑であり、ときには曖昧で、西洋と東洋両方の他の芸術形態や広い範囲の文学に何度も言及している。パウンドは他の多くの詩人、特にもう一人の海外居住者だったT・S・エリオット(1888年 - 1965年)に影響を与えた。エリオットは、象徴の濃密な構造で進められる簡潔で知性に訴える詩を書いた。その作品『荒地』(The Waste Land[33])では、第一次世界大戦後の社会の僻んだ考え方を崩壊し悪夢に付きまとわれたイメージに表現した。パウンドの作品に似てエリオットの詩は高度に暗示的であり、『荒地』のある版は詩人その人によって補われた脚注が備えられた。1948年、エリオットはノーベル文学賞を受賞した。

アメリカの作家は第一次世界大戦後の幻滅も表現した。F・スコット・フィッツジェラルド(1896年 - 1940年)の短編や小説は1920年代の落ち着けない、喜びに飢えた反抗的なムードを捕らえていた。フィッツジェラルドの特徴的主題は『グレート・ギャツビー』(The Great Gatsby[34])で痛烈に表現されており、若者の金色の夢が失敗と失望の中で消えていく風潮である。フィッツジェラルドはまた、20世紀初期の社会の圧力で酷く脅威を与えられている側面である自由、社会の統合、良い政府と平和などアメリカ独立宣言に盛り込まれていたアメリカの重要な理想の幾つかが崩壊したことも示した。シンクレア・ルイス(1885年-1951年、1930年ノーベル文学賞)とシャーウッド・アンダーソン(1876年 - 1941年)もアメリカ人の生活を批評的に表現した小説を書いた。ジョン・ドス・パソス(1896年 - 1970年)は戦争について書き、世界恐慌にまで伸びた「アメリカ合衆国三部作」も書いた。F・スコット・フィッツジェラルドカール・ヴァン・ヴェクテン撮影、1937年

パール・S・バック (1892年 - 1973年) は生後間もなく中国に渡った女性作家で、中国農村が舞台の大地 (1931年) でピューリツァー賞 (1932年) とノーベル賞 (1938年) を受賞した。アーネスト・ヘミングウェイ(1899年 - 1961年)は第一次世界大戦の救急車運転手として暴力と死を身近に体験し、大虐殺によって抽象的な言葉が最も空虚で人を惑わすものだと確信させられた。その著作から不要な言葉を削り、文章構造を単純化し、具体的な対象と行動に集中させた。圧力の下での優美さを強調する道徳律に固執し、その主人公は強く寡黙な男だが女性の扱いはぎこちないことが多い。『日はまた昇る』(The Sun Also Rises)と『武器よさらば』(A Farewell to Arms)が一般にその傑作と考えられている。ヘミングウェイは1954年にノーベル文学賞を受賞した。

ヘミングウェイよりも5年早い1949年に、ウィリアム・フォークナー(1897年 - 1962年)がノーベル文学賞を受賞していた。フォークナーは彼が創作したミシシッピ州ヨクナパトーファ郡における非常に大きな範囲の人物模様を描き出した。「意識の流れ」と呼ばれる手法で、心理状態を表現するために長ったらしくてまとまりのないように見える登場人物の話を記録した(実際にこれらの文章は丁寧に組み立てられ、その混乱したような構造は多層の意味を隠している)。


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