アメリカ文学
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アメリカ文学者の平石貴樹は、女性作家たちの「プロット」に対する不信の背後には、「人生を一貫した計画や冒険などの展開とみなす、近代的自我の人生観[注釈 1]そのものを、アメリカン・ドリームに支配された男性たちの『勝手な夢』(少なくとも、社会参加のままならない自分たちには『無縁な夢』)としてしりぞける思想、あるいは情緒が、ひそんでいたとも考えられる。」と評し[注釈 2]、男女の社会的立場の差と、プロットの強弱との関係を指摘している[21]
アメリカの詩詳細は「アメリカ合衆国の詩」を参照ウォルト・ホイットマン、1856年

19世紀アメリカの二人の偉大な詩人は気質もスタイルもほとんど異なったものと言うことができる。ウォルト・ホイットマン(1819年 - 1892年)は、労働者、漂泊者、南北戦争では志願看護士であり、詩の革新者だった。その代表作『草の葉』(Leaves of Grass[23])は、不規則な長さをもつ自由に流れる行でできており、アメリカ的民主主義の全的包括性を表している。この主題を一歩進め、自分勝手にならずに幅広いアメリカ人の体験を自身のものと同一視している。例えば、『草の葉』の中心で長い詩、『ぼく自身の歌』(Song of Myself[24])では、「あらゆる年齢とあらゆる土地の全ての人は私にとって新しいものではないという思想が実際にある」と書いている。

ホイットマンはまた自分で「電気の身体」と呼んだように肉体の詩人でもあった。イギリスの小説家D・H・ローレンスはその『アメリカ文学古典の研究』の中で、ホイットマンは「精神の男が肉体の男よりも幾らか「優れて」「上に」あるという古い道徳観に最初に打撃を与えた」と記した。若かりし日のエミリー・ディキンソン1846年1847年

一方、エミリー・ディキンソン(1830年 - 1886年)は、マサチューセッツ州の小さな町アマーストで上品な未婚の女性として、保護された人生を送った。その詩は形式的構造の中で独創的で機知に富み、優美に練り上げられ、心理的な洞察力がある。その作品は当時としては型破りであり、生前はほとんど出版されることも無かった。

ディキンソンの詩の多くは意地の悪いひねりを伴う死について論じている。例えば、『私は死について考えるのを止められないから』(Because I could not stop for Death[25])は、「彼が親切にも私を止めさせた」で始まっている。ディキンソンの別の詩の冒頭は男性が支配する社会に生きる女性、かつ認められていない詩人としてのその立場を、「私は誰でもない!貴方は誰?貴方も誰でもないの?」と弄んでいる。

アメリカの詩は20世紀初期から半ばにそのピークを迎えたと考えられるが、その著名な詩人としては、ウォレス・スティーブンス(1879年 - 1955年)、シルヴィア・プラス(1932年 - 1963年)、アン・セクストン(1928年 - 1974年)、エズラ・パウンド(1885年 - 1972年)、T・S・エリオット(1888年 - 1965年)、ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ(1883年 - 1963年)、スティーブン・ビンセント・ベネット(1898年 - 1943年)、ロバート・フロスト(1874年 - 1963年)、カール・サンドバーグ(1878年 - 1967年)、ロビンソン・ジェファーズ(1887年 - 1962年)、ハート・クレイン(1899年 - 1932年)、E・E・カミングス(1894年 - 1962年)、ジョン・ベリーマン(1914年 - 1972年)、アレン・ギンズバーグ(1926年 - 1997年)、ロバート・ローウェル(1917年 - 1977年)、エドナ・ミレイ(1892年 - 1950年)など多くいる。
リアリズム、トウェインとジェームズマーク・トウェイン、1874年

マーク・トウェイン(1835年 - 1910年、本名はサミュエル・ラングホーン・クレメンズ)はアメリカ東海岸とは離れて(ミズーリ州の州境)生まれたアメリカ人作家としては初めての重要人物だった。その土地を舞台にする傑作は自伝『ミシシッピの生活』(Life on the Mississippi[26])と小説『ハックルベリー・フィンの冒険』(Adventures of Huckleberry Finn[27])である。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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