アメリカ学派_(経済学)
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アメリカ学派はハミルトンの経済計画に基礎を置く資本主義経済学説である[11]。資本主義の中のアメリカ学派はアメリカ合衆国が経済的に自立し、全国的に自活していくようになることを意図した。

アメリカ学派の主要な政策はJ・Q・アダムズ国民共和党H・クレイホイッグ党リンカーン共和党の初期段階で推進された[12]

これらの政策が実行された間に、アメリカは世界有数の経済大国に成長し、高い生活水準に到達し、1880年代には大英帝国を追い越した[13]
歴史
起源アレクサンダー・ハミルトンの肖像画、ジョン・トランブル画、1806年。ハミルトンの概念と連邦議会に提出した3つの報告書がアメリカ学派の哲学的基礎を形成した

経済学のアメリカ学派はアレクサンダー・ハミルトンの流れを汲むものであり、ハミルトンが連邦議会に報告した『製造業に関する報告書』で、アメリカ合衆国は必要とされるあらゆる経済的産物で自活できなければ完全に独立したとは言えないと論じた。ハミルトンはこの経済論をフランスジャン=バティスト・コルベールおよびイギリスエリザベス1世時代の一連の制度に一部負っているが、市場として植民地を求めるような重商主義の不快な側面は拒否した。この考え方を熱烈に支持して「アメリカ・システムの父」と呼ばれるようになったヘンリー・クレイ上院議員が後に定義したように、アメリカ・システムは国の北と南、東と西、および都市と農夫を統一するものだった[14]

フランク・ブルギンによる1989年のアメリカ合衆国憲法制定会議の研究書では、建国の父達が経済に直接政府が関わることを意図したとしている[15]。これは連合規約の下で国が味わった経済と財政の混乱を克服する必要性があると考えられたことと関係があり、国家統制経済としたいという望みには関連していなかった。その目的はハミルトンによってほとんど強制的に書かれたものだが、懸命に政治的独立を勝ち取ることを確実にすることであり、ヨーロッパの強国や君主に経済および財政で依存した状態で失われてはならないということだった。強力な中央政府を創るということは、科学、発明、工業および商業を促進でき、社会的福祉を高める基本手段と見られ、さらにアメリカ合衆国の経済を自身の運命を決定できるだけ強くすることだった。

南北戦争に至る時代に行われた多くの連邦政府による計画がアメリカ学派に形と存在感を与えた。これらの計画には、1802年の特許局の設立、1807年の海岸測地測量局の創設、1824年の河川港湾法によって生まれた川と港の航行性を改善する手段がある。1804年のルイス・クラーク探検隊に始まり、1870年代にまで続いた西部への軍隊遠征(例えばスティーブン・ハリマン・ロング少佐やジョン・C・フレモント少将)は、ほとんどすべてが陸軍工兵司令部の士官の元に行われ、それに続いた陸路開拓者に重要な情報を与えた(例えばランドルフ・B・マーシー准将)。初期の鉄道や運河の測量と建設には援助と指揮のために工兵技師が任命された。第一合衆国銀行第二合衆国銀行が設立され、様々な保護貿易手段(例えば1828年関税法)が採られた。

計画の指導的提唱者は経済学者のフリードリッヒ・リスト(1789年-1846年)やヘンリー・キャリー(1793年-1879年)だった。リストは19世紀のドイツ系アメリカ人経済学者であり、計画を「ナショナル・システム」と呼び、その著書の中でさらに展開した[16]。キャリーは著書『関心の調和』の中でこの計画に著書名と同じ名前を付け、労働者と管理者の調和、農業、製造業および商業の調和を訴えた[17]

「アメリカ・システム」という名前は、当時の競合する経済学理論とは1つの思考学派として区別するために、ヘンリー・クレイが考案したものだった。例えばアダム・スミスの『国富論』では「イギリス・システム」が出てきていた[18]

アメリカ学派には主要な3つの論点があった。:
「製造業の支援」、保護貿易主義を提唱し、自由貿易に反対する。特に「競争力のない工業」と海外から輸入される競合品に対抗するものを保護する。施策として、1816年関税法やモリル関税法があった。

「物理的インフラの創出」、政府が内国改良に資金手当することにより商業と工業発展の速度を上げる。これには民間が所有するインフラを規制し、国の需要に合わせさせることが含まれる。例えば、カンバーランド道路ユニオン・パシフィック鉄道がある。

「財政的インフラの創出」。政府の後援する国定銀行が通貨を発行し、商業を奨励する。これには債権の規制に関する主権を利用し、経済の発展を促し、投機を抑えることが含まれる。例えば、第一合衆国銀行と第二合衆国銀行および国定銀行法がある[11]

アメリカの指導的経済学者で、エイブラハム・リンカーンのアドバイザーだったヘンリー・キャリーはその著書『関心の調和』で、このアメリカ学派経済理論がアダム・スミスやカール・マルクスとは異なっている2つのポイントを以下のように挙げている。
政府が科学の発展、公立「普通」教育制度による公共教育、および認定と補助金を通じた創造的研究への投資を支援する。


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