世界がNSAの存在について1999年まで知らなかったわけではない(以下は公刊情報)。
1954年10月、ジョセフ・ピーターソンはNSAの秘密書類を盗んで友人に提供した[注 11]ため逮捕され、記事が出ている。
1957年、アメリカ政府の公式政府組織案内書[10]に創設が明らかにされた[注 12]。
1960年9月に、NSA正規分析官バーノン・ミッチェルとウィリアム・マーティンがソ連に亡命し、記者会見でNSAの活動の詳細[注 13]を公表した。これについて上院の調査が入り、人事保全担当の高官が学歴詐称していることが明らかになった。
1963年、NSA下級職員(アラブ系)ビクター・ハミルトンがソ連に亡命し、NSAが国連や諸国の通信を傍受・解読を行っていることを記者会見で述べた。
1967年、デビッド・カーンは著書[11]でNSAの全体像を明らかにした[注 14]。
1968年1月、「プエブロ号事件」が起こり、NSAの存在が公表され、多くの資料が共産圏に渡った。
1969年「超スパイ機関[12]」。人員1万6千人、2000傍受基地[注 15]、3つの最高機密暗号解読通信の内容などを詳細に記述している。
1972年、トルコ中北部のカラムセル(シノップの近く)にあるNSA大規模傍受基地の監督官が、NSA勤務時代の回想録を発表する[13]。
1976年「陣容は16276人と発表された」と朝日新聞が記載[14]。
1986年「パズル・パレス―超スパイ機関NSAの全貌[15]1986年9月早川書房。内部情報が詰まっている。
1993年12月:NSA本部の隣に国立暗号博物館[16]が開設され、一般公開された。
しかし、冷戦終結で機密指定の解除が進んだ事と、NSAが米国政府による暗号化ソフトウェアの輸出規制などの問題に関わっている事から、一般の注目を集める機会が多くなって来ている。アメリカ同時多発テロ事件で拡大した。 暗号やセキュリティ技術に関して、NSAは世界最高の水準にあるが、その研究内容は秘密にされることが多い。しかし、NSAの技術のいくつかは広く一般に使われている。NSAが関わったクローズドソースつまりブラックボックスの一般向け暗号・セキュリティ技術については、バックドアの存在が疑われている。 NSAは暗号方式DESの策定に大きく関わっている。アメリカ国立標準技術研究所 (NIST) の前身、アメリカ国立標準局(NBS)が公募した標準暗号アルゴリズムに対し、IBMがLuciferという暗号方式を提出するが、ここでNSAは、鍵の長さを128ビットから56ビットに短縮し、S-BOXの内容を変更し、DESとして公式暗号となった。説明なしに行われたこの改造に対して、疑念の声が上がることになった。 実際は当時公知でなかった暗号解読法である差分解読法に対する耐性を持たせた。LuciferのSボックスはきわめて弱くすぐ破れた。改良のために当時最高のIBMコンピューターを数十時間使用した。56ビットに短縮したのはNSAが解読できるようにするためである[注 16]。 次期標準暗号方式として公開で選定されたAESでは、技術コンサルタントとして関わっている。 NSAが中心となって、1990年代に個人のPC用のPGP暗号ソフトウェアとネットスケープのSSL暗号ルーチンに対して、暗号鍵に128ビットを使用したフル規格製品を海外輸出することを許さず、米国内向け製品として128ビット製品と海外輸出向け製品として40ビット製品を作らせた。
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