アメリカ同時多発テロ
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3機目のアメリカン航空77便は、午前9時37分(日本時間午後11時37分)にバージニア州アーリントン郡ペンタゴンアメリカ国防総省本庁舎)に激突し、建物の西側を部分的に倒壊させた。
テロ攻撃の失敗
4機目のユナイテッド航空93便コロンビア特別区に向けて飛行していたが、乗員乗客がハイジャック犯の制圧を試みた結果、ペンシルバニア州ストーニークリーク郡区の野原に墜落した。

ワールドトレードセンターおよび周辺のインフラへの破壊は、ニューヨークの経済に深刻な打撃を与え、世界市場にも大きな影響を与えた。米国とカナダの民間空域は9月13日まで閉鎖され、ウォール街は9月17日まで閉鎖された。新たな攻撃への恐怖と警戒心から、多くの閉鎖、避難、キャンセルが続いた。

捜査の結果、アルカイダの指導者であるウサーマ・ビン・ラーディンに疑いを向けた米国は、テロから約1ヵ月後の2001年10月、有志連合諸国とともに軍事作戦を開始した。アフガニスタンを攻略し、同国からのアルカイダの放逐と、テロの首謀者とみられるビン・ラーディンの身柄引き渡しに応じなかったタリバン政権を同年11月に事実上崩壊させた。ビン・ラーディンは当初、事件への自身の関与を否定していたが、2004年にテロ攻撃の責任が自らにあることを認めた[12]

アルカイダとビン・ラーディンは、アメリカのイスラエル支援サウジアラビアへのアメリカ軍の駐留、幼児50万人が犠牲になったと言われるイラクに対する制裁[13]などをテロの理由に挙げた。ビン・ラーディンはテロから10年近く捕捉を逃れ、パキスタン国境付近に潜伏していたが、テロから約10年後の2011年5月、アメリカ軍の急襲により殺害された。

ワールドトレードセンター跡地の清掃は2002年5月に完了し、ペンタゴンは1年以内に修復された。1 ワールドトレードセンターの建設は2006年11月に始まり、2014年11月に開業した[14][15]。ニューヨーク市の911メモリアル&ミュージアム、バージニア州アーリントン郡のペンタゴンメモリアル、ペンシルバニア州の墜落現場にある93便ナショナルメモリアルなど、多数の慰霊碑が建立された。
ハイジャックされた旅客機ハイジャックされた各旅客機の飛行ルート

2001年9月11日朝(現地時間)、マサチューセッツ州ボストンバージニア州ダレス(ワシントンD.C.近郊)、ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、モハメド・アタを中心とするアラブ系の集団によってほぼ同時にハイジャックされた。彼らは操縦室に侵入し、操縦士を殺害した後、自ら操縦して、2機(アメリカン航空11便、ユナイテッド航空175便)をニューヨーク州ニューヨークマンハッタンへ、残り2機(アメリカン航空77便、ユナイテッド航空93便)をワシントンD.C.へ向かわせた[16][17]

なお、乗っ取られた4機のうち2機が米ボーイング社製のボーイング767型機で、残りの2機がボーイング757型機である。この2種類の機体は、運行する航空会社の操縦士に互換性を持たせるために、操縦室の操縦システムは基本的に同じ物が使われており、いずれも2人のみで操縦できるため、意図してこれらの機体が運行されている便が選択されハイジャックされたと考えられている。

また、実行犯のリーダー、モハメド・アタをはじめとする一部のハイジャック犯たちは、アメリカ合衆国内にある民間の航空学校(ホフマン飛行機学校[18])で小型機の自家用操縦免許を取得した後に、これらの機体の操縦方法を事前にフライトシミュレータで訓練していたことが明らかになっている[19]

これら4機がいずれも北米大陸横断ルートという、アメリカ合衆国国内線の中では長距離飛行に入るルートを飛行する便であったのは、長距離便のために燃料積載量が多く、衝突後の延焼規模を多くすることを狙ったと推測する者[要出典]もいる。なお、ハイジャックされて激突・墜落させられた旅客機の乗客・乗員は全員死亡している[20]
アメリカン航空11便詳細は「アメリカン航空11便テロ事件」を参照


アメリカン航空のボーイング767-200ER(N334AA)アメリカン航空11便の飛行経路

ボストンロサンゼルス行きアメリカン航空11便(AA011; ボーイング767-200ER型機・機体記号N334AA)は、乗客81人(日本人1人を含む)・乗員11人を乗せ、午前8時00分頃にローガン国際空港を離陸し、ロサンゼルス国際空港に向かった[21][22]。その後、11便は午前8時14分頃に始められたハイジャックにより、コックピットを乗っ取られた[23]。11便は午前8時27分に進路を南向きに変え、午前8時46分にニューヨークロウアー・マンハッタンのワールドトレードセンター・ツインタワー北棟(110階建)に突入し爆発炎上した[23][24]。角度、速度ともに浅い離着陸時の事故と違い、機体の残骸はほとんど原形を留めていなかった。

11便がWTC北棟に衝突する瞬間は、ニューヨーク市消防局Ladder Companyの取材をしていたフランスの映像作家、ノーデ兄弟(英語版)によって撮影されていた[25]。また、ホームビデオや定点カメラに写り込んだ映像も存在する[26]
ユナイテッド航空175便詳細は「ユナイテッド航空175便テロ事件」を参照


ユナイテッド航空のボーイング767-200(N612UA)ユナイテッド航空175便の飛行経路

ボストン発ロサンゼルス行きユナイテッド航空175便(UA175; ボーイング767-200ER型機・機体記号N612UA)は、乗客56人・乗員9人を乗せ、午前8時14分にローガン国際空港を離陸し(アメリカン航空11便でのハイジャック発生とほぼ同時)、ロサンゼルス国際空港に向かった[27][28]


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