アメリカ合衆国探検遠征隊
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太平洋岸北西部オレゴン準州を示す1841年の地図、
「アメリカ合衆国探検遠征隊の叙述」フィラデルフィア、1845年

1841年、遠征隊は南アメリカと北アメリカの西海岸を探検した。その中にはファンデフカ海峡ピュージェット湾コロンビア川が含まれていた。

遠征隊はフィジーに寄った後、将来オロナ島と呼ばれることになる島に行き、その島をハル島と命名した。ウィルクスは、先人であるイギリスの探検家ジョージ・バンクーバーと同様に、現在のワシントン州ベインブリッジ島でかなりの時間を過ごした。ウィンスローで鳥のような形をした港を見て、イーグル港と名付けた。鳥に魅せられ、ビルポイント、ウィングポイントも名付けた。ポートマディソン、ポインツモンロー、ジェファーソンは元大統領に因む命名だった。ポートルドローは米英戦争で命を落としたオーガスタス・ルドローに因んで名付けた。

1842年4月、ウィリアム・K・ハドソン大尉が指揮するUSSピーコックとUSSフライングフィッシュがドラモンズ島を測量し、隊員の名前が付けられた。ハドソン大尉は乗組員の1人から、1隻の船が島で難波し、その乗組員がギルバート島民に虐殺された話を聞いた。1人の女性とその子供が唯一の生存者であると言われたので、ハドソンはウィリアム・M・ウォーカーの指揮で海兵と水兵の小部隊を島に上陸させ、調査させることにした。当初原住民は友好的であり、アメリカ人は島を探検できたが、何も得られなかった。ハドソンが乗組員の1人が行方不明になっていることに気付いたのは、この部隊が船に戻ってきている時だった。再度調査をすると、不明の者は見つからず、原住民は武器を取り始めた。ウォーカー大尉は部隊と共に船に戻って、ハドソンと協議した。ハドソンはウォーカーに岸に戻り水兵の返還を要求するよう命令した。ウォーカーは上陸部隊と共にボートに乗って岸に向かった。ウォーカーが大声でその要求を原住民に伝えると、原住民が突撃を始めたので、船に戻るしかなかった。翌日、アメリカ人は敵対する原住民と土地を再度砲撃することを決めた。砲撃している間に700人ほどのギルバート島戦士がアメリカの攻撃に対抗したが、長い戦闘の後に敗北した。アメリカ人の負傷者は居なかったが、原住民12人が殺され、他に負傷した者もいた。さらに1つの村も破壊された。2か月前の2月には同じような出来事が起こっていた。アメリカ商船の水兵がサモアのウポル島で殺された後、USSピーコックとUSSフライングフィッシュがこの島を砲撃した[4]

USSピーコックは1841年7月にコロンビア川で失われた。人命は失われなかった。これにはビンセンズのパーサーのアフリカ系アメリカ人従僕であるジョン・ディーンとチヌーク族インディアンの集団がカヌーで救援に当たったことが幸いした。ディーンは遠征隊の画家であるアルフレッド・アゲイトとその絵や画材も救出した。ウィルクスはピーコックがコロンビア川砂州で座礁したことを聞き、サンフアン諸島での仕事を中断して南に向かった。ピュージェット湾に戻ってくることは無かった。

現在のオレゴン州ポートランド地域からは、ジョージ・F・エモンズが隊長となった陸上部隊が内陸を通ってサンフランシスコ湾に向かった。エモンズ隊はサクラメント川などシスキュー・トレイルを南に向かい、北カリフォルニアではシャスタ山を訪れたアメリカ人最初の公式記録となり、科学的知見も残した。

エモンズ隊は船に戻り、サンフランシスコ湾を南に向かった。船隊はサンフランシスコとその支流を調査し、後に「アッパー・カリフォルニア」の地図を制作した[5]。その後は太平洋に戻り、1841年にはウェーク島を訪れ、フィリピンスールー諸島ボルネオ島シンガポールポリネシア喜望峰を回り、1842年6月10日にニューヨーク港に帰還した。ウィルクス遠征隊の間に太平洋諸島民とアメリカ人の間に戦闘が起こった場所を示す地図

この遠征はウィルクスとその部下の士官達の間で常に難しい関係があった。ウィルクス自身は大佐と代将の位にあることを宣言し、それに合わせた旗をなびかせ、大佐の征服を着用していたが、実際には大尉に任官されているに過ぎず、同様な地位にある仲間の隊員をひどくいらいらさせた。部下の多くを酷使し、艦隊中のむち打ちなど懲罰にふけったこともあり、アメリカに戻ったときに大きな議論になった[3]。ウィルクスは戻ったときに軍法会議に掛けられたが、その船隊で隊員を不法に罰したこと以外は無罪放免となった。
出版計画

ウィルクスは沿岸測量部に短期間付けられたが、1844年から1861年は主に遠征の報告書執筆に携わった。28巻の報告書が計画されたが、19冊が発行されただけだった。そのなかで、ウィルクスは1845年の「叙述」、1851年の「水路測量学」と「気象学」を執筆した。「叙述」はあまり知られていなかった多くの場所のしきたりや慣習、政治や経済の状態など、興味ある内容になっている。その他貴重な報告として、ジェイムズ・ドワイト・デーナの1846年の「植虫類」、1849年の「地質学」、1852年から1854年の「甲殻綱」の3巻がある。ウィルクスは短い記事や報告に加えて、1849年の「西アメリカ、カリフォルニアとオレゴンを含む」と、1856年の「風の理論」という科学的作品を出版した。スミソニアン博物館は叙述の5巻とそれに伴う科学的な巻をデジタル化してきた[6]
遠征の意義伝統的な衣装を纏ったツバルの男、アルフレッド・アゲイト画、1841年ヌクフェタウ環礁エリス島(現在のツバル)の男、アルフレッド・アゲイト画、1841年

ウィルクス遠征隊は19世紀の科学の発展、特にアメリカの科学の成長に大きな役割を果たした。この遠征で見つかった種や項目の多くが新しいスミソニアン博物館収集品の基礎を形成した。

海軍の乗組員から嘲笑的に「ザリガニ掘り」や「虫収集家」と呼ばれた科学者達の援助で、大半は太平洋の280の島が探検され、オレゴン州の800マイル (1,280 m) 以上が地図になった。6万種の植物と鳥の標本が集められたことも同じくらい重要である。648種の種など、膨大な量のデータと標本が遠征中に集められ、国中に送られ、植えられた。乾燥した標本はスミソニアン博物館の一部になっているナショナル・ハーバリウム(標本室)に送られた。旅の帰り道で採集された生きている植物254種もあり、1850年に新しく建設された温室に植えられ、それが後にアメリカ合衆国植物園になった。

版画師でイラストレーターであるアルフレッド・トマス・アゲイトは、エリス島(現在のツバル)原住民の衣装や入れ墨など伝統的な文化の記録を残した[7]

遠征で集めた人工物の収集品もスミソニアン博物館の前身である国立科学推進研究所に送られた。これらはアメリカ史の人工物と共にスミソニアン博物館収集品の最初の人工物に加えられた[8]
大衆文化の中で

ジョーン・ドルエットの小説『ウィキ・コフィン』シリーズは遠征隊に同道した架空の7番目の船を舞台にしている。
船舶

スループ・オブ・ウォーUSSビンセンズ(1828年建造、780トン、大砲18門搭載)、旗艦

スループ・オブ・ウォーUSSピーコック(1828年建造、650トン、大砲22門搭載)

全艤装シップUSSレリーフ(1836年建造、468トン、大砲7門搭載)

ブリッグUSSパーポイズ(1836年建造、230トン、大砲10門搭載)

スクーナーUSSシーガル(1838年建造、110トン、大砲2門搭載)

スクーナーUSSフライングフィッシュ(1838年建造、96トン、大砲2門搭載)

遠征隊員
海軍士官

ジェイムズ・アルデン

トマス・A・バッド、
地図製作

オバートン・カー

ジョージ・M・コルボコレシーズ(1816年-1872年)、士官候補生

トマス・T・クレイブン

サミュエル・ディンズマン、海兵

ヘンリー・エルド(1814年-1850年)、士官候補生

ジョージ・エリオット、船のボーイ

ジャレド・エリオット、船の牧師

サミュエル・エリオット、士官候補生、USSパーポイズ

ジョージ・フォスター・エモンズ(1811年-1884年)、大尉、USSピーコック

トマス・フォード、水兵

ジョン・L・フォックス博士、船医、USSビンセンズ

チャールズ・ギロー、船医、USSピーコック[9]

ジョージ・ハマースリー、士官候補生

ジェイムズ・ヘンダーソン、 補給係将校、USSビンセンズ

サイラス・ホームズ、USSピーコック

ウィリアム・L・ハドソン、艦長、USSピーコック

ロバート・E・ジョンソン、大尉

サミュエル・R・ノックス、艦長、USSフライングフィッシュ

A・K・ロング、艦長、USSレリーフ

ウィリアム・ルイス・モーリー(1813年-1878年)

ジェイムズ・H・ノース、船長代行、USSビンセンズ

ジェイムズ・W・E・リード、艦長、USSシーガル

ウィリアム・レイノルズ(1815年-1879年)

キャドワラダー・リングゴールド(1802年-1867年)、艦長、USSパーポイズ

R・B・ロビンソン、パーサーの事務官、USSビンセンズ

ジョージ・ロジャーズ、海兵

ジョージ・T・シンクレア、航海士、USSパーポイズ

ウィリアム・スパイデン(1797年-1861年)、海軍パーサー、USSピーコック、スピーデン島の名前の元

シメオン・スターンズ、海兵軍曹

ジョージ・M・トッテン、士官候補生、地図制作者

リチャード・ラッセル・ウォルドロン、パーサー、USSビンセンズ[10]、特殊任務者[11]


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