アメリカ合衆国大統領の継承順位
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すなわち、大統領の死亡、辞任、または免職があった場合、副大統領が大統領となる。同時に第25条は、大統領が一時的に障害を負った場合(外科手術を受ける、精神的に不安定になるなど)についても規定している。また同条は、副大統領が欠けた場合は大統領によって後任が指名され、かつ議会の承認が得られなければならないとした。かつては、副大統領が大統領の後任となり、または別の理由で(死亡・辞職または免職によって)職が空いた場合、副大統領職は欠けたままの状態で留め置かれた。

昇格大統領の任期

大統領が死亡するなど、職務不能時に大統領に昇格した場合、前大統領の任期が残り2年以内(就任から2年後の1月20日以降)であれば、その後の大統領選挙に2度挑戦できる。つまり、アメリカ合衆国大統領は最高で10年在任できることになる(修正憲法第22条)。

1951年の修正憲法後、8年以上在任の機会があった大統領はリンドン・B・ジョンソンだけである[注 5]。しかしテト攻勢などベトナム戦争の泥沼化の責任を取り、3期目の選挙が行われる1968年の3月に大統領選挙に出馬しないと明言した。
大統領代行と大統領1963年のジョン・F・ケネディ暗殺後、エア・フォース・ワンの機上にて大統領就任宣誓をするリンドン・ジョンソン

合衆国憲法第2条第1節は、以下のように規定している。

In case of the removal of the President from office, or of his death, resignation, or inability to discharge the powers and duties of the said office, the same shall devolve on the Vice President … until the disability be removed, or a President elected.

大統領が免職、死亡、辞任し、または同職の権限および義務を遂行する能力を失った場合は、障害が除去されるか、または大統領が選任されるまでの間……それは副大統領に帰属する。

当初この規定は、「それ (the same)」が「同職 (the said office)」を指すのか、それとも「同職の権限および義務 (the powers and duties of the said office)」のみを指すのかという問題を未解決のまま残した。一部の歴史家は、大統領の権限および義務を遂行する間、副大統領は副大統領のままであるということが制定者らの意図であったと主張している。しかし反証も多く存在しており、中でも最も強制力があるのは憲法自体の第1条第3節である。条文には次のように書かれている。

The Vice President of the United States shall be President of the Senate, but shall have no vote, unless they be equally divided.

合衆国の副大統領は、上院の議長となる。ただし、可否同数の場合を除き、表決には加わらない。

The Senate shall choose their other officers, and also a President pro tempore, in the absence of the Vice President, or when he shall exercise the office of President of the United States.

上院は、議長を除く上院の他の役員を選任し、また副大統領が欠席するかまたは合衆国大統領の職務を行う場合には、仮議長を選任する。

この条文は、副大統領の継承に関して大統領の「職務」と単なる「権限」のいずれが副大統領に移るのか、という仮定的問題に解答を与えているように見える。このように、修正第25条は、大統領の障害に関する有益な新規定を加えたことを除いては、単に既存の先例の有効性について言い直し、再確認したに過ぎない。しかし当然ながら、それが初めて検証された際に誰もがこの解釈に同意したわけではなかった。そして、修正第25条が未だ存在しなかった時代に米国史上初めて大統領を継承したジョン・タイラーの先例が、以後尊重されてきたのである。1841年、ジョン・タイラーは大統領を継承した初の人物となった

1841年にウィリアム・ヘンリー・ハリスン大統領が死亡した際、ジョン・タイラー副大統領はしばし躊躇した後、大統領就任の宣誓をすると、自身は単なる大統領代行でなく大統領なのであるとの立場をとった。彼は、「アメリカ合衆国大統領代行」に送られる書簡さえも突き返したのである。

この先例はその後も続き、「大統領が免職、死亡、または辞職した場合、副大統領が大統領となる」ことを明記する修正第25条の第1節によって明確化した。この修正条項は、副大統領以外の職員が同じ状況下で大統領代行でなく大統領になることができるか否かについては明記していない。しかし、大統領継承法はその条項中で、就任するいかなる者も「大統領の役を演じる」に過ぎない―たとえ彼らが長年その役割を「演じた」としても―ということを明らかにしている。かくて副大統領を務める者だけが、これまで「アメリカ合衆国大統領」の称号を継承することができたのである。
継承法の歴史詳細は「大統領継承法(英語版)」を参照

1792年大統領継承法は、議会によって可決された最初の継承法である。同法は、連邦党民主共和党の対立により、議論の的となっていた。当時国務長官であったトマス・ジェファソンが民主共和党の指導者として浮上したため、連邦党は副大統領に続く大統領継承者として国務長官が現れることを望まなかった。三権分立に反することから、連邦最高裁長官を含むことに対する懸念もあった。成立した妥協案は、上院仮議長を副大統領に続く継承者に据えることを確立し、下院議長がこれに続いた。いずれにせよ、これらの職員は「障害が取り除かれるか、または大統領が選出されるまでの間、アメリカ合衆国大統領として行動する」ために存在する。同法は、大統領と副大統領が共に欠けた年の11月に補欠選挙を実施するよう求めた(欠員が10月最初の水曜日以後発生しなければ、選挙は翌年実施される。欠員が大統領の任期の最後の年までに発生しなければ、次の選挙は定期的に予定されているものとして実施される)。こうした補欠選挙で大統領と副大統領に選出された人々は、翌年3月4日に始まる4年の任期を全うするとされたが、そのような選挙が実施されることはなかった。

1881年のガーフィールド大統領の死後、また1885年のヘンドリックス副大統領の死後、上院仮議長もいなければ新しい下院もまだ開会しておらず、下院議長も決まっていなかったため、副大統領に続く継承者は全くいないままであった。

チェスター・アーサー大統領は外遊の際、「大統領」に宛てた封筒を残し、自身が執務不能に陥った場合は誰かがこれを開封するであろうと考えた。議会が1885年12月に開会した際、グローヴァー・クリーヴランド大統領は1792年の継承法の改訂を求めた。

同法は、1886年に通過した。議会は、上院仮議長と下院議長を閣僚と入れ替え、国務長官を継承順位の筆頭に据えた。アメリカ合衆国の最初の100年間に、大統領職へ進んだ議会指導者が2名に留まったのに対し、6名の国務長官が大統領に選ばれた。結果として、継承順序を入れ替えることは合理的に見えた。

ハリー・S・トルーマン大統領によって署名された1947年大統領継承法は、継承順序の中で後ろに下院議長と上院仮議長を加えたが、1792年の順序から2つの点を変更した。これは、今日用いられている順序のままである。1947年の米軍再編で陸軍省と海軍省が国防総省に統合されたため、国防長官は以前陸軍長官が占めていた継承順位に収まった。1798年以来、閣僚として存在してきた海軍長官職は、米軍再編で国防長官の下に置かれたため、1947年大統領継承法で継承順序から外された。

1971年までは、郵政長官郵政省の長であった。そのほとんどの期間中、郵政長官は内閣の一員であり、郵政長官は大統領継承順位の最後尾に位置していた。郵政省が郵便公社(行政府から独立した特別部署)に再編されると郵便公社総裁は閣僚ではなくなり、継承順序から外された。

法規で示された閣僚の順序は常に、各閣僚が属する省の設置順と同一であった。しかし、2002 年に国土安全保障省が設置された際、同省長官を名簿の第8位(司法長官の下、内務長官の上。国防長官の設置以前は海軍長官が占めていた位置)に据えることを希望した議員が少なからずいた。その理由は、既に災害救助と安全保障とを管掌している同省長官は、他の一部閣僚よりも大統領職の継承準備が整っているであろうと考えたためである。国土安全保障長官を名簿の最後尾に加える法律は、2006年3月9日に制定された[6]
副大統領を飛び超えた継承ミズーリ州プラッツバーグにあるデーヴィッド・ライス・アッチソンの墓石。「1日限りのアメリカ合衆国大統領」とある。

9名の副大統領が大統領の死亡または辞任と同時に大統領職を継承し、3名の副大統領が一時的に大統領代行を務めたが、これ以外には大統領の職務を執行するよう求められた幹部は未だかつて存在しない。

ジェームズ・ポークの任期は、1849年3月4日(日曜日)に満了した。次期大統領ザカリー・テイラーは宗教的な信条を理由に、日曜日に宣誓するのを断った。デーヴィッド・ライス・アッチソン上院仮議長の墓石には、彼が1日間のみ大統領であったと刻まれている。しかし、上院仮議長としてのアッチソン自身の任期満了日が3月3日であったとすると、その主張はどうやら疑わしい。実際、アッチソンは大統領就任の宣誓をしていないのであるから、単にテイラーが宣誓しなかったからといって、アッチソンを大統領とすることは筋が通らない。

1865年、アンドルー・ジョンソンエイブラハム・リンカンの死に際して大統領を引き受けたとき、副大統領職は空になった。当時、上院仮議長の継承順位は副大統領の次であった。1868年にジョンソンは下院で弾劾訴追されたが、もし彼が上院の弾劾裁判で免職されていたならば、ベンジャミン・ウェード上院仮議長が大統領代行となったであろう。このことは、利害の衝突を惹起した。なぜなら、免職に関するウェード自身の投票は、彼が大統領を継承するか否かを決することに貢献するからである。

1973年にスピロ・アグニュー副大統領が辞任した時は、カール・アルバート下院議長が継承順位の筆頭となった。ウォーターゲート事件によりニクソン大統領の解任または辞任の可能性が浮上したため、アルバートが合衆国法典第3編第19条第(c)項に基づいて、大統領代行となり、「当時の現在の大統領の任期満了まで、大統領として行動する」可能性が出てきた。


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