アメリカ合衆国国防総省
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陸軍、海軍および統合参謀本部による計画は1945年に提出され、1945年12月19日、トルーマン大統領による下院への特別教書で国防に関する統合部門の設立が提案された。提案は下院に1946年4月に上申されたが、権力の集中に対する反対により、海軍事務委員会での公聴会によって遅れた。トルーマンは結局1947年2月に下院に対して新たな提案を行い、それは数か月にわたって討議、修正された。

1947年7月26日に、トルーマンは国防法案に署名した。同法案によって1947年9月18日に国家軍政省 (National Military Establishment) が発足し、初代国防長官にはジェームズ・フォレスタルが就任した。同省は略号の「NME」が enemy (敵)の発音に似ていたため、1949年8月10日に国防総省 (Department of Defense) に改名された。国防長官には陸海空三軍に対する強大な権力が与えられた。

1789年に設立された旧陸軍省が1947年に継承された陸軍省と、1780年に設立された海事部が1798年に名称変更した海軍省、および1947年に新設された空軍省を傘下に持つ。よって、アメリカの行政機関の中で唯一、「省」の内部に「省」を有する官庁である。
アメリカ同時多発テロ衝突現場

2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件において、ハイジャックされたヴァージニア州ダレス(ワシントン・ダレス国際空港)発ロサンゼルス行きアメリカン航空77便(ボーイング757)が9時38分に国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突した。

乗客・乗員59名とテロリスト5名は全員死亡。離着陸時の事故と違い、高速で建築物に激突・炎上したために機体の残骸はほとんど原形をとどめなかった。ペンタゴン職員125名も死亡した。激突の瞬間の映像は、ペンタゴンの駐車場監視カメラによって記録された。また、付近を通行中の多くのドライバー歩行者によって激突の瞬間が目撃された。
組織
概要組織図 (2013年12月)

国防総省の長は、上院の助言と承認を得て大統領が任命する国防長官である。国防長官は、合衆国法典第10編第113条 10 U.S.C. § 113によって「国防総省に関する全ての事項においての大統領の首席補佐官」であり、「国防総省に対する権限、指揮、統制」を行うと規定されている。なお憲法によって、全ての軍事権限は議会に帰属しているため、国防長官が有する法定の諸権限も憲法に由来するものである。議会や大統領が、国防総省のあらゆる問題に参与することは現実的ではないため、通常は国防長官と、その部下の各職員が軍事権限を行使する。

国防総省は、国防長官府 (OSD)、統合参謀本部 (JCS)及び統合参謀本部事務局 (JS)、監察監室 (DODIG)、統合軍、軍事各省 (陸軍省 (DA)、海軍省 (DON)、空軍省 (DAF))、内部部局、現業部局、州兵総局 (NGB)及び法律、大統領、国防長官によって設立、指定された各オフィス、機関、活動、組織、コマンドで構成されている。

国防総省令5100.01は、各部門における組織関係を規定し、その主要な職務を規定する基本的な省令となっている。この省令は、2010年12月に、ロバート・ゲーツ国防長官の署名により、1987年の制定以来初となる大規模な改正が行われた[3][4]
国防長官府国防長官府の組織図 (2008年)

国防長官府 (OSD) は、国防長官と、国防副長官などの補佐官 (主に文民職員)によって組織されている。国防長官府は、公式・非公式問わず様々なプロセスを通じて、政策開発、計画、資源管理、財政、政策評価、監督するとともに、他のアメリカ政府省庁、外国政府、国際機関との連絡、協力、職員交換などを行っている、国防長官に対する官房組織である。また国防長官府は、国防総省の現業部門、業務改善のための権限を与えられた機能横断チームの監督、管理も行う。
内部部局

国防長官府が監督する内部部局は、以下の通りである。

軍隊放射線生物研究局 (AFRRI)

教育活動局 (DoDEA)

国防高等研究計画局 (DARPA)

国防コミッサリー局 (DeCA)


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