アメリカ合衆国の国旗
[Wikipedia|▼Menu]
南北戦争開戦前の1860年12月から翌年2月までに南部7州がアメリカ合衆国を脱退してアメリカ連合国を建国し、開戦後の同年5月までにさらに南部4州が合衆国を脱退して連合国に加盟したが、合衆国側は脱退そのものを認めず、当時の33星(のち34星を経て35星)国旗を使い続けた。

当初は星の数と共に条 (すじ) の本数も増やされていたが、条の本数が多くなるに従って不恰好で見づらくなった(遠目からはピンクに見えるようになった)ため、1818年にデザイン変更の際の規定が作られ、条は発足時の13本で固定し、以降は星の数だけを増やしたという経緯がある(下表の15星旗では縞は15本だが、20星旗は13本に直されている)。

この「青地に白い星」と「赤と白の条」の組み合わせは、アメリカ合衆国をイメージするあらゆるシンボルに使用されている。

なお、アメリカ合衆国の国歌も日本語では「星条旗」と訳されるが、原題は「The Star-Spangled Banner」(「星で飾られた旗」の意)であり、合衆国旗を意味する言葉ではあるが、厳密には「条」の意味が含まれていない。

1968年、「国旗保護法(Flag Protection Act)」が制定され意図的な損壊や焼却を違法としたが、1989年のテキサス州対ジョンソン事件において合衆国最高裁判所の判決によって違憲と判断され法改正が行われた[3]。しかし1990年のアメリカ合衆国対アイクマン事件でも違憲判決が出されたことで法律は無効化されている[3]。判決の決め手となったアントニン・スカリア憲法修正第1条による政府批判の権利を理由に反対票を投じた[3]

?植民地時代の旗(1765年)

?植民地時代の旗(1765年、別の仕様)

?独立時の13星を表した「ベッツィー・ロス・フラッグ(Betsy Ross Flag)」、
当時は13個の星の配置が定められていなかったが、円形に配されたベツィー・ロス・フラッグが採用された

デザインの変遷

以下の表に、アメリカ合衆国の27の国旗を示す。星の配置は「一般的」なものである(多くはアメリカ海軍と関係している)。1912年10月29日にウィリアム・タフト大統領が48星旗を発表するまで、公式な星の配置は定められていなかった。さらに、旗の正確な色も1934年[4]まで決まっていなかった。その後定められたことにより以前の国旗にも適用された。また上記の通り公式ではなかったものの慣例上の一般的な配置は決まっていた。それら慣例により事実上正式であったものを表に記す。

星数国旗増えた州施行日最終日年数
00 ?なし1775年12月3日[5]1777年6月14日01年06か月12日
13 ?独立時の13州1777年6月14日1795年5月1日17年11か月18日
15 ?ケンタッキー州
バーモント州1795年5月1日1818年7月3日23年02か月03日
20 ?インディアナ州
ルイジアナ州
ミシシッピ州
オハイオ州
テネシー州1818年7月4日1819年7月3日01年
21 ?イリノイ州1819年7月4日1820年7月3日01年


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:71 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef