第二次世界大戦中の1942年に情報調整局から改組設立された戦略情報局(オフィス・オブ・ストラテジック・サービス、OSS)がセントラル・インテリジェンス・グループ(CIG、中央情報グループ)及び政策調整局
(OPC)を経て1947年に成立した国家安全保障法により改組されて発足した。第二次世界大戦終了後にアレン・ダレスはドイツからテオドール・ゼーフェッケなど多数のナチス将校を招聘した。またCIAのソ連など東欧での情報収集と工作活動の本格化を図った。「ベノナ」も参照
1950年代から1960年代にかけては、社会主義・共産主義化しつつあったイラン・グアテマラ・コンゴ・キューバなどに対してクーデター・要人暗殺などを含んだ工作活動を積極的に展開した。
1999年4月26日にCIA長官を務めた経歴を持つ第41代アメリカ合衆国大統領ジョージ・H・W・ブッシュの功績を称えてCIAの旧本部と新本部からなる複合施設はジョージ・ブッシュ情報センター(英語版)と命名された[38]。
2001年よりジョージ・W・ブッシュ政権ではCIAは機能が発揮されていないという指摘もある。ブッシュ政権で権勢を振るうネオコンは、CIAからの情報を軽視しており(プレイム事件など)、アメリカ国防総省傘下の国家安全保障局(NSA)や国防情報局(DIA)を重視して、CIAはインテリジェンス・コミュニティーの主流派から外され、国家情報長官が設置され、副長官にはNSA長官だったマイケル・ヘイデンが就任した。こうした流れは、2010年頃まで続いた[39]。ブッシュ政権でCIA長官だったポーター・J・ゴスは、それまでの最上級幹部を全て辞めさせ、大統領の政策に異議を唱えることを禁じる命令を出した。これによって、CIAの職員は2005年までに総員の半数が5年以下の経験しか持たない組織になった[15]。一方で子ブッシュ政権下でもブラック・サイトでの拷問や無人攻撃機による暗殺などの秘密工作活動でCIAは暗躍した[40][41][42]。
2018年、ジーナ・ハスペルが初めての女性長官になる[43]。
組織
職員数 - 約20,000人(非正規職員や派遣職員、契約職員など雇用形態が曖昧なため、はっきりした数字は定まらない。)
諜報活動を行うチームは、情報収集管理担当官を中心とする、エージェント、工作員、分析官、警備担当、スタッフ・オペレーション・オフィサー、管理担当、その他職員らで構成されており、職員はそれぞれ専門の担当があり、全員が全てスパイという訳ではない。CIAに勤務する“職員”は“オフィサー”、工作員の募集職員のことを“エージェント”または“アセッツ”と呼称する。また、海外でのCIAの警備業務などを行うGRS(Global Response Staff)と呼ばれる業務委託された部署・職員も存在する。
ヒューミントに従事する。英語名はDirectorate of operations(作戦総局)。本部長はDeputy Director of CIA for operations(作戦担当副長官)で、略称はDDO,DO,DD/Oなどを用いている。 以前は計画本部(1951-73)、作戦本部(1973-2005)、国家秘密工作本部(2005-2015)と称されていた[44]。 黎明期にはOSO(戦略作戦局、Office of Strategic Operations、情報収集担当)、OPC(政策調整局、Office of Policy Coodination、秘密工作担当)に分かれていた。 情報の評価・分析・情報資料の作成に従事する。
情報収集管理担当官 (Collection Management Officer)
工作担当官 (Case Officer)
工作補佐担当官 (Staff Operations Officer)
準軍事工作担当官 (Paramilitary Operations Officer)
作戦本部
核拡散部
対テロ・センター
防諜センター
麻薬対策センター
CIS部
欧州部
中近東・南アジア部
東アジア部
アフリカ・中南米部
技術支援部
情報本部
CIS分析部
欧州分析部
近東・南アジア分析部
東アジア分析部
アフリカ・中南米分析部