CIAは秘密工作活動だけを行っている訳ではない。情報本部・国家情報評価室・NIO(National Intelligence Officer)などで情報評価活動をしていた。国家情報長官室(ODNI)が設立されるまで、CIAの情報評価は全ての基礎になっていた。特に軍部の意向に左右されない文官指導部への客観的な情報評価が期待されていた。
元々CIAは真珠湾攻撃で情報・評価活動が集約されず、大統領にまで多数の生の解読電文が評価無しでそのまま渡される上に、海軍と陸軍が別々に情報活動をするという弊害を是正するために生まれた(戦略情報局が立ち上げられたのは日本の直接攻撃を受けた後の1942年)。冷戦が始まってその性質が変化したが、「ソ連などの戦争準備に対して早期警報を出す」という基本任務がおろそかになった訳ではない。
CIAの情報評価はごく一部は40年以上昔から一般公開されていた。 日本占領期には占領終了後に岸信介・賀屋興宣・正力松太郎・児玉誉士夫・笹川良一・田中清玄・笠信太郎・緒方竹虎・野村吉三郎などをCIAの協力者として、揺籃期の自由民主党に活動資金を提供し、心理戦略委員会(Psychological Strategy Board(PSB)。のちの作戦調整委員会)などの方針に沿って政治及びマスメディアを利用し、国内のアメリカニゼーションと政府の親米化に一役買った[14][15][16][17][18][19][20]。 2006(平成18)年7月18日に公開された国務省編纂の外交史料集によると、冷戦時代にはアメリカ政府の反共政策に基づき日本の親米勢力や、民社党などの野党内保守・右派勢力に秘密資金を提供していた[21]。秘密資金の提供を受けたのは岸信介、池田勇人両政権下の自民党有力者と社会党右派(後に民社党を結党する勢力)とみられている。この結果、右派が民社党をつくり、日本社会党は弱体化することになった[22][23]。 冷戦終結まで、児玉を通じて日本の指定暴力団・韓国のヤクザなどともコネクションを持っており、暴力装置などとして使用していた[24]。また日本共産党には、岸の系列から韓国の統一協会へ関与していると主張された[25]。 冷戦終結後は双子の赤字に苦しむ連邦政府による人員や経費の削減等のため危機に直面したCIAは、日本などの友好国の経済情報などの非軍事分野での情報収集と分析を始めた。1990年(平成2年)4月には長官のウェブスターが「日本やヨーロッパ諸国の経済上の競争相手に対する情報戦略を扱う企画調整室を設けた。」と発言し、1992年(平成4年)4月には長官のゲーツが「業務の約4割、予算の2/3は経済分野に当てる。」と演説した[26]。2011年には、上級オフィサーで2000年に没したロバート・クロウリーが遺した協力者一覧「クロウリーファイル」には、船橋洋一と、「C」の節に、コロンビア大学教授のジェラルド・カーティスが掲載されている事が明らかになり、協力者の一人であると名指しされている[27]。 CIA日本支局を立ち上げたのは前身のOSS(戦略情報局)スイス支局でアレン・ダレスの部下だったポール・ブルームで、彼が来日後に最初に連絡をとったのが笠信太郎であり、以降ブルームと笠は日本の指導的知識人を糾合する目的の座談会を主催するなどして親米論調の涵養を図っていた。
「ザ・ワールド・ファクトブック」[10] - 世界各国の現況をまとめている。
「情報研究」[11]
「グローバル・トレンド」 - CIAの下部機関であった国家情報会議(NIC:National Intelligence Council)が4-5年おきに発行していた20年後の未来予測、現在は独立したNICが発行する。日本関係の主要な論点では「人口減少が社会全体に影響を与えるので対処が必要である」と、かなり前から記述していた。ソビエト連邦の崩壊は予測(または記述)できなかった(2035年版は2016年12月に新大統領に提出される予定で作業中。)[12][13]。
日本への関与