ゴールデンエイジ、シルバーエイジ、ブロンズエイジのスーパーヒーローコミックを発行する主要なコミック出版社: DCコミックス (スーパーマン、バットマン、ワンダーウーマン など) および マーベル・コミック (スパイダーマン、ハルク、X-メン など)。 アメリカン・コミックスの特徴とされるのがスーパーヒーローものである。1960年代以前には、大小取り混ぜた無数の出版社により、ファニーアニマル・コミックや西部劇漫画、恋愛漫画、恐怖漫画、戦記漫画、犯罪漫画などの有名なアメリカン・コミックが存在した。二つの要因から、この多様性は1950年代に急速に失われてしまった。 一番目の要因は、極めて規制的なコミックコード委員会の設立へと結びついた、「有害な」子供向け漫画に対する一連の公的キャンペーンの高まりであった。この規制は厳しい制約が有るがスーパーヒーロー漫画は認可し、それ以外のジャンルを禁止した。結果として、多くの弱小出版社の作品は一掃されてしまったが、スーパーヒーロー物を扱う大手出版社は無傷なままに残された。 二番目の要因は、1950年代後半から1960年代前半にかけて、テレビがライトな購読者層の多くを引き寄せたことである。出版社がコミックコードから離れてライトな購読層向け以外のグリッター・ジャンル作品を制作するようになるまでの間、テレビや映画の方が遥かに高い収益を得られた。しかしながらアメリカン・コミックは、スーパーヒーロー物のようなアクション志向の強い異世界での冒険を、特撮に金をかけることなく、映画産業より高度なボリュームで描くことができたのである。 日本の漫画に多いスポーツ漫画はアメリカン・コミックスでは非常に少ない[2]。 レギュラー・シリーズと呼ばれるほとんどのアメリカン・コミックは、中綴じ製本による32ページの薄い月刊の逐次刊行物(英語ではコミック・ブック、日本ではリーフと呼ばれる)として発行される。リーフ1冊の価格は1ドルから2ドル強である。1冊のリーフには1タイトルのみが22ページ前後で、広告、読者欄と共に掲載される。日本の漫画のように最新タイトルが複数の連載作品として1冊の雑誌に併載されることはない。一部の人気エピソードはトレード・ペーパーバックの形で1冊の本にまとめられることもあるが、日本の単行本のように全てのエピソードが発行される訳では無い。 大手出版社によるアメリカン・コミックのほとんどはフルカラー印刷である。初期のアメリカンコミックは、黒インクの輪郭線と赤・黄・青3色の100%・50%・20%の3階調の重ね塗りによる単純な彩色が施されていたが、現在はコンピューターによる無階調の彩色が導入されている。作画においては、下絵を描くペンシラー、ペンを入れるインカー、彩色を行うカラーリスト、文字を書き込むレタラーによる分業体制が取り入れられている。 作品やキャラクターの著作権は慣例として出版社に帰属する。このシステムは、特定のキャラクターの物語を複数のアーティストが描き継ぐことにより、何十年も同じキャラクターを使いまわせたり、異なる作品に登場するキャラクターのクロスオーバーが容易に行えるという利点をもたらした。その一方で、本来はアーティストが得られるべき権利が損なわれたり、作品の作家性が失われる欠点があった。特に有名なのは、『スーパーマン』の作者ジョー・シャスターとジェリー・シーゲルの例である。1947年に、DCコミックスに対する利益配分を求める裁判を起こして解雇された二人は、1975年に全米漫画家協会 アメリカン・コミックの歴史は、以下の時代別に区分される。 アメリカで最初に出版された漫画本は、近代コマ漫画の創始者として知られるスイスの漫画家ロドルフ・テプフェール(1799年?1846年)による『ヴィユボワ氏の恋愛(fr:Les Amours de monsieur Vieux Bois アメリカにおけるコミック・ブックは、19世紀後半の新聞紙上に掲載された初期のコミック・ストリップ(コマ漫画)から発展した。1920年代から1930年代にかけて、新聞既掲載のコミック・ストリップをパルプ・マガジンに収録した初期のコミック・ブックが出現した。この頃のコミック・ストリップは主にユーモラスな性質を備えていたために、「コミック・ストリップ」から採られた「コミック・ブック」という呼び名が適用された。「コミック・ブック」という用語が、扱っている出版物の内容ではなく出版媒体を示すようになった時に、この呼称は混乱をもたらした。 1933年にマックス・ゲインズ
概要
ジャンル
出版形態
歴史
プラチナ・エイジ
ゴールデン・エイジ
1935年2月に、ナショナル・ピリオディカル・パブリケーションズ(DCコミックス)は、オリジナルなキャラクターと物語による「New Fun Comics」シリーズを発表した。