アメリカン・グラフィティ
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ジョニー・B・グッドチャック・ベリー

瞳は君ゆえに(フラミンゴス)

ゲット・ア・ジョブ (ザ・シルエッツ)

踊ろよベイビー(ボビー・フリーマン)

カム・ゴー・ウィズ・ミー(ザ・デル・ヴァイキングス)

ユア・シックスティーンジョニー・バーネット

恋の特効薬(ザ・クローバーズ)

シンス・アイ・ドント・ハヴ・ユー(ザ・スカイライナーズ)

シャンティリー・レース(ビッグ・ボッパー)

ティーン・エンジェル(マーク・ダイニング)

グリーン・オニオンブッカー・T&ザ・MG's

オンリー・ユー(プラターズ)

オール・サマー・ロング(ザ・ビーチ・ボーイズ)

主な受賞歴

アカデミー賞

ノミネート:作品賞(フランシス・フォード・コッポラ、ゲイリー・カーツ)、助演女優賞(キャンディ・クラーク)、監督賞(ジョージ・ルーカス)、脚本賞(ジョージ・ルーカス、グロリア・カッツ、ウィラード・ハイク)、編集賞(ヴァーナ・フィールズ、マーシア・ルーカス)


第31回ゴールデン・グローブ賞(1973年)[3]

受賞:作品賞・ミュージカル/コメディー部門

受賞:最も有望な新人賞(ポール・ル・マット)

ノミネート:最優秀俳優賞・コメディ/ミュージカル部門(リチャード・ドレイファス)、監督賞(ジョージ・ルーカス)


1973年ニューヨーク映画批評家協会賞[4]

受賞:脚本賞(ジョージ・ルーカス、グロリア・カッツ、ウィラード・ハイク)


製作

ユニバーサルはルーカスが付けた『アメリカン・グラフィティ』という題名を「分かりにくい」と気に入らず、「アナザー・スロー・ナイト・オブ・モデスト」という題名を提案した。ちなみにコッポラは「ロック・アラウンド・ザ・ブロック」を提案した。

夏の設定だが、撮影は冬に行われた。そのため、息が白くなっているシーンがある。役者たちは薄着で暑そうな演技をし、カットがかかると上着に飛びついたという。
演出

脚本通りに演じることも望まず、俳優たちの好きなように演じさせた。

テリーのベスパ停車の失敗、強盗から投げられる酒のファンブル失敗、デビーの「Did you get it?」の失敗、キャロルの水風船顔面直撃などアクシデントが採用されることが多く、俳優たちは「ルーカスは失敗を望んでいた」と語っている。デビーの台詞の失敗は1テイク目だったので、そのテイクがOKとなり、撮り直しさせてもらえなかったとクラークは語っている。

ドレイファスは撮影時、終始踵を上げ、下げして、手をブラブラさせていたのでカメラ・オペレーターから「じっとしてろ」と注意された。その行動は劇中でも観ることができる。

チャールズ・マーティン・スミスは髪を切らされ、70年代には流行らない髪形にされた。そのためプライベートでは帽子を離さなかったという。ハリソン・フォードは髪を切るのを嫌がり、代わりにカウボーイ・ハットを被って出演した。
使用楽曲

本作にはオリジナルの劇伴はなく、全編にわたり物語の設定年代である1950年代半ばから1960年代前半にかけての楽曲が引用されている。また、実在のDJ、ウルフマン・ジャックを本人役で登場させている。全曲が収録されたサウンドトラックも大ヒットし、現在も人気が高い。

しかし、楽曲の権利上の問題から、長らくビデオ化ができなかった。日本の地上波テレビ初放映は、1980年10月24日放送のフジテレビゴールデン洋画劇場』で、サザンオールスターズ桑田佳祐が初の吹き替えを担当した。その後、放映権TBS系に移り、1984年に深夜特番『ソニー名作洋画ノーカット劇場』で放送された。吹き替え版は、2008年12月19日にユニバーサルから「思い出の復刻版」と題した吹き替え名画の傑作選の第1弾として発売された。

サントラに収録された全41曲は、ルーカス自身の好みで選ばれたものである。なお、エンドロールで流れるザ・ビーチ・ボーイズの「オール・サマー・ロング」は舞台となった1962年ではなく、1964年の楽曲である。
公開後

試写を見たユニバーサルの重役ネッド・タネンは「こんな映画は観客に見せる物じゃない」と激怒した。その後、試写を繰り返しても会社のこの映画への評価は上がらず、当初公開されたのはニューヨークの1館、ロサンゼルスの2館だけだった。更にユニバーサルは『アメリカン・グラフィティ』完成から上映までの間にルーカスから提示された、『スター・ウォーズ』の企画を拒否してしまったが、ルーカスは理解のない会社に企画が渡らなくて安堵した。

結果映画は世界的に大ヒットし、この後続篇も製作され、さらに『グリース』、テレビドラマ『ハッピーデイズ』、『グローイング・アップ』など多くの亜流作品を生んだ。現在も青春時代のエピソードを当時のヒット曲で綴る映画を「アメグラもの」と表現されることがある。

当時は無名だったリチャード・ドレイファスハリソン・フォードロン・ハワードチャールズ・マーティン・スミスが、のちのアメリカ映画を代表する大スター・売れっ子監督になっていったのは、よく知られるところである[注釈 1]。公開当時はボクサー上がりのポール・ル・マットが一番人気が出るのでは、と言われたが、彼本人の名前よりも役名が浸透してしまい、あまり人気が上がらなかった(俳優としては現在も活動している)。当時プロの役者だったのはハワードだけである。
DVD

DVDに収録されているのは、劇場公開版より約2分長いディレクターズ・カット版である。また、オープニングの空にCGで夕焼けと雲が加えられている。

思い出の復刻版DVD disc2に収録されている吹き替えは、TBS「名作洋画ノーカット10週」で放送されたものが収録されている。発売直前まで、発売元のユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパンのサイトには、若干本編からカットがある「日曜洋画劇場」で放送されたもののキャストが記載されていた。
裏話

ジョンの乗るフォード・デュース・クーペのナンバープレートにはルーカスの前作のタイトルをもじったナンバー、「THX-138」と書かれている。この
イースター・エッグは後の『スター・ウォーズ』の劇中でも見られる。

登場人物が入り浸る「メルズ・ドライブイン」はサンフランシスコに実在したドライブインである。当時既に閉店していたが、映画撮影のために再度開店させた。店は撮影終了後に取り壊された。世界各国のユニバーサル・スタジオのテーマパークにも同名のレストランがある。

高校のダンスパーティでの演奏シーンでギタリストが使っているギターはラージ・ヘッドのストラトキャスターであるが、この仕様は1965年にフェンダー社がCBSに買収された後のものなので1962年には存在しない。

キャロルが1974年3月21日?4月5日に山本寛斎ファッションショーでのステージと映画撮影のため、渡欧しパリでライブを行った。この時、矢沢永吉と山崎眞行が、日本公開前の『アメリカン・グラフィティ』を当地で観た。矢沢の感想は「ぜんぜん面白くない。オープニングは、チャック・ベリーが出て来て『ジョニー・B.グッド』をやるべきだ」と言ったという。一方の山崎は本作を観てオールディーズ、フィフティーズや古着ファッションの日本で流行を予感し、のちクリームソーダやピンクドラゴンなどを仕掛け、原宿にクリームソーダ王国を築いた[5]

現在発売されているソフトは、劇場公開版に未公開シーンを追加し新たに編集し直した特別版となっている。

脚注
注釈^ フォードは当時俳優業からやや離れて大工をしていたが、本作を境に本業へ復帰した。


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