アメリカンフットボール
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20世紀に入ると、負傷の多さや競技中の死亡など他のスポーツでは考えられない危険性から「殺人ゲーム」と呼ばれるようになり、世間の非難が高まっていった[22]。当時のアメリカでは安全な学生スポーツが求められており、1891年にYMCAで始まったバスケットボールは激しいコンタクトをルールで排除したため女子学生でもプレーできるようになり、1904年セントルイスオリンピックでデモンストレーション競技となるなど広まりを見せていたが、アメリカンフットボールのルールは改善されず依然として男子大学生の野蛮なスポーツ扱いだった。1905年10月、セオドア・ルーズベルト大統領[注 7]はアメリカンフットボールを問題視し、ホワイトハウスにイェール大、ハーバード大[注 8]、プリンストン大の各責任者を招集して健全化を要求、競技をもっと安全でクリーンなものにするか、さもなければ禁止するよう意見した[22]。事実、コロンビア大学は、もっと安全になるまで事態をうかがうということで10年間活動を中止、ノースウェスタン大学は1年間棄権、スタンフォード大学カリフォルニア大学はラグビーに転向してしまった[22]。さらにその年の暮れにシカゴ・トリビューンが試合で18人が死亡し、154人以上が重傷を負っていることを報道すると非難はより強くなった[22]。議会では廃止論が叫ばれ、コンタクトが少なく安全なサッカーに転向すべきだという意見が噴出した[22]。1906年1月21日、関係者たちはさっそくルールを改正すべく集まりを持った[22][注 9]。ウォルター・キャンプを中心としたこのルール委員会は、フォワード・パスを認め、ニュートラル・ゾーンを設け、これまで3rdダウンで5ヤードを10ヤードに変更、試合時間も70分から60分に減らした[22]。その後、1912年までの間にさらにルールは変わっていった[22]。フィールド・ゴールによる得点は4点から3点に、タッチダウンは5点から6点に変更、フライング・タックルや不正な手や腕及び体の使用の禁止、スクリメージ・ライン上に7人の選手が位置することの義務付けなどが行われ、これらの改革によって集団で襲いかかるような野蛮な行為は影をひそめ、現在のルールの基本が出来上がった[22]。安全面に配慮したルール改定に加え、負傷軽減のための防具の整備[注 10]も行われた。陸軍士官学校とノートルダム大学の試合(1913年)

1913年、アメリカ陸軍士官学校ノートルダム大学戦において、ノートルダム大学のガズ・ドライズ(英語版)とヌート・ロックニー(英語版)がパスプレーを繰り出し、ランプレーと効果的に織り交ぜ、それまでほとんどランプレーだけだったアメリカンフットボールの戦術において革命を起こした。40ヤードのタッチダウンパスを皮切りに、ノートルダム大学が得た5TDはすべてパスプレーによるもので、35-13で圧勝した。パスプレー(1回のみ前方にパスができるルール)自体は1906年から認可されていたが、それまでは限定的にしか使用されていなかった[注 11]
NFLの歩み最初のプロアメフト選手として知られるウィリアム・ヘッフェルフィンガー(英語版)

競技が普及するにつれて、各地のアスレチック・クラブでプレーする選手たちは次第に報酬をもらうようになって行った。1892年、エール大出身のウィリアム・ヘッフェルフィンガーが1試合500ドルの報酬で最初のプロ選手となり、1893年には年間契約のプロ選手が誕生している[23]。1895年に16歳のジョン・ブラリアーが1試合10ドルでプロに転向することを初めて公表[24]。1896年にはいくつかの試合をプロだけで構成されたチームで戦うクラブが現れ、1889年、ついにカージナルスがプロチームとして誕生した[23]

20世紀に入ると選手の報酬は急騰し、1915年には第5回夏季オリンピック(1912年、ストックホルム)で2個の金メダルを獲得したジム・ソープが1試合250ドルの報酬を得た[24]。すると、より良い待遇や契約条件を求めて選手がチームを渡り歩くためにチーム力が安定しないという問題が起こり始め、挙句の果てにはチームが大学生をプロ選手としてプレーさせるような事態が続発した[24]

1920年、上記のような問題を管理・統括するために、現在のNFL[注 12]の前身となるAPFA[注 13]が11チームで結成された[24]。加盟費は各チーム100ドルであった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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