現在は食品(主に魚介類や乾物)、衣類、雑貨、宝飾品などの店が業種ごとに集中している。特に年末には正月用の生鮮食品などを買い求める人たちでごった返し、普段は商店街の端から端まで歩いて十分程度のところ、この時期は数十分を要するほどの様相を呈す[4]。この様子は報道番組やワイドショーを中心としてテレビやラジオで年の瀬の風物詩として中継される[4]。年末が近づくと多くの店が正月用の食品を取り扱うようになり、洋品店など年末に特に売り上げが上がらないもしくは混雑で売り上げを落とすような店は閉店して間貸しあるいは一時的に食料品店に衣替えするため、通りは大きく様変わりする。
魚介類などの生鮮食品を中心に扱う店舗が集まっている場としては他に築地市場とその周辺があるが、築地市場そのものは東京都の施設であること、築地市場は業者向けの卸売の量販を主体としていた(現在、卸売市場の機能は豊洲市場へ移転)。築地場外と呼ばれる小売店でも、基本的に値引き交渉をしないことが前提となっている。一方のアメ横は一般消費者向けの小売が主体で、時には店員との交渉次第で安く買えることが特徴である。
年末には毎年1日あたり50万人程の人出があり、日本各地から観光客も押し寄せる(普段は一日10万人程度)。特徴としては他の日本各地にある商店街と違って地域密着型ではない。
魚屋の店先でダミ声で鮭やマグロを売っている場合、たいてい値引き対象の品である。その他の魚に関しては表示どおりの価格で取引されたり、普通は客がいくら言い値を言っても相手にされなかったりする事がある。しかし夕方近くなると売れ残った商品のたたき売りも見られる。年末になると多くの店は正月用品が目立つようになる。用品や雑貨などを売っている店は休業し店先を貸す事もある。鮮魚などは普段の二倍近くで売りに出される事もあり、一方割引きもある。果物なども傷物に限り店頭に半値以下で並ぶ以外安くなることはない。化粧品など昭和時代に定価販売でメーカーの物は取引されていたが、アメ横では2割引で売られていた。
その他、化粧品やブランド品など高価な時計や雑貨がガード下で売られている。昭和時代は偽物やレプリカ品が多かったが、現在はその影はほとんどなく本物志向になっている。 アフリカ系やアジア系の人が経営する衣料品店やブティックが増加中で、2015年になると外国人が経営する店はアメ横全体の1割にあたる40店になった。40軒いずれの店もアメ横商店街連合会に所属し、会費も払っている。このような外国人の経営する店の増加に対し「アメ横の雰囲気が変わってしまう」と懸念する声もあるが、同連合会広報部長は「アメ横には闇市の雑多な店舗が活力になった歴史がある。変化を受け入れつつ共存し、商店街を盛り上げていけばいい」と話している[2]。 アメヤ横丁は、成田国際空港と結ぶスカイライナーが発着する京成上野駅に近く、外国人観光客が訪れるスポットの一つとなっている。2019年現在、訪れる客の半分以上が外国人となる時期がある[8]。 2013年上半期に放送されたNHK朝ドラ『あまちゃん』では舞台の一つとなり、アイドルユニット「アメ横女学園」の練習場として、当横丁にあるアメ横センタービルが登場した。また、同年11月上旬の連休には、関連イベントも行われた。
国際化
作品
ギャラリー
御徒町駅(2010年12月6日撮影)
アメヤ横丁 上野駅側入口(2010年12月6日撮影)
アメヤ横丁 御徒町駅側入口(2010年12月6日撮影)
出典^ a b c 【東京探Q】「アメ横」の由来は?飴屋とアメリカ説 有力『読売新聞』朝刊2019年2月18日(都民面)。
^ a b c 『朝日新聞』(2015年11月25日)夕刊「アメ横 食の国際化」
^ じゅん散歩 2020年6月8日放送
^ a b c d e f g ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 168.
^ 『大辞泉』(小学館)
^ ロム・インターナショナル(編) 2005, p. 169.
^ ⇒上野アメ横公式サイト 。アメ横について
^ “アメ横の苦悩、アジアングルメ店が「営業マナー」で地元と軋轢
参考文献
ロム・インターナショナル(編)『道路地図 びっくり!博学知識』河出書房新社〈KAWADE夢文庫〉、2005年2月1日。