アムネスティ・インターナショナル
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」とする非難声明を2008年4月11日に発表している[7]

2010年、南モンゴルモンゴル族人権活動家ハダとその家族が中国政府によって拘留され行方不明になったことを受けて所在を直ちに明らかにするよう求めている[8]

2021年、香港国家安全維持法に基づき「重大な報復」を受ける恐れがあるとして香港から撤退した[9]
組織

国際事務局(ロンドン)の下に、個別の法人格を有する各国支部(アムネスティ日本、アムネスティ韓国など)が連なり、それぞれの支部には多数のローカルグループが所属している。会員はローカルグループを通じてアムネスティに加入する(グループ会員)ことも、各国支部に直接入会する(個人会員)こともできる。

伝統的に、良心の囚人の釈放を求める手紙を関係当局に出すなどの活動(アクション)にあたっては、ローカルグループが主たる実動部隊の役割を果たしてきた。最近ではインターネットなどを通じ、然々のアクションをとるよう各国支部の事務局から所属会員に直接呼びかけることも行われている。

一方、各国における人権侵害の調査・認定とアクションの立案にあたっては国際事務局が中心的な役割を果たす。このため国際事務局は多数の調査員を擁し、それぞれ特定の国や地域を担当している。
事務総長

歴代事務総長の一覧。括弧内は国籍と在任期間である。[10]
ピーター・ベネンソンイギリス、1961年 - 1966年)

エリック・ベイカー(英語版)(イギリス、1966年 - 1968年)

マーティン・エナルズ(英語版)(イギリス、1968年 - 1980年)

トマス・ハマーベリスウェーデン、1980年 - 1986年)

イアン・マーティン(英語版)(イギリス、1986年 - 1992年)

ピエール・サネ(英語版)(セネガル、1992年 - 2001年)

アイリーン・カーン(英語版)(バングラデシュ、2001年 - 2010年)

サリル・シェティ(英語版)(インド、2010年 - 2018年)

クミ・ナイドゥ(英語版)(南アフリカ、2018年 - 2020年)

ジュリー・ヴェルハール(2020年 - 2021年)

アニエス・カラマール(英語版)(フランス、2021年 - )

活動
原則と範囲

欧米では「最も信頼できる国際組織」として高い評価を得ているが、その理由の一つとして、欧米のアムネスティが一貫して政治的に中立性を保つ努力をしていることが指摘されている。たとえば、米国のアムネスティは他国のアムネスティと同様死刑に反対しているが、特定の政党や政治勢力を直接・間接に支持することはなく、公職選挙において特定の候補者に投票する、あるいはしないようにアムネスティの名で呼びかけることも避けている。伝統的に死刑支持者の多い共和党の党員も数多く米国のアムネスティに入会している。また、米国アムネスティは民主・共和両党の党大会に代表を派遣して影響力の維持に努めている。

アムネスティは戦時下でも人権が保護されるように交戦国双方に働きかけるが、戦時国際法で認められた正規の戦闘行為としての武力行使そのものには賛成も反対もしないことを運動の原則としてきた。最近では、ダルフールにおける人権侵害をくいとめるため国連軍の派遣を安全保障理事会に要請するなど、特定の軍事行動を慫慂ないし支持する場合もみられる[11]。この例が端的に示す通り、アムネスティは非武装中立のような絶対的平和主義には与していない。

アムネスティの「自国条項」すなわち、各国支部は死刑執行反対等を除いては原則として自国内の個別の人権侵害案件に介入しないという規定も、政治的中立性を守る努力のあらわれである。各地で起きた個別の事案をアムネスティが取り上げるべき人権侵害として認定する権限は支部にはなく、その判断は国際本部にゆだねられている。冷戦時代にはアムネスティは東側陣営西側陣営第三世界からそれぞれ同数の「良心の囚人」事案を認定して支援することにより、「イデオロギー的/地域的に偏っている」「人権問題に二重規範(ダブルスタンダード)を持ち込んでいる」という批判を避ける努力をしていた。なお自国条項は現在緩和の傾向にあり、アムネスティ内の各アクター間の調整に基づき自国の具体的ケースへの関与も試行されている。

このようにアムネスティが政治的中立性の維持に格別の努力を払ってきた背景には、「人権」ということばがしばしば政治宣伝の隠れ蓑として恣意的に利用されてきたという歴史的経緯がある。アムネスティが結成された当時すでに、言論機関やさまざまな団体が表向き不偏不党の姿勢を装いながら、実際には自陣営内で起こった人権侵害は不問に付する一方で敵対陣営側の人権問題だけを大きくとりあげて非難するという「人権のつまみぐい」が頻発していた。そのため、「人権擁護」というスローガン自体がうさんくさい目でみられる風潮すら一部に生じていた。したがって、認定する案件数なども含めて均衡を保つことを明示的に義務づけることによって政治的中立性を保とうとするアムネスティの規定は斬新なものであったといえる。

アムネスティは結成以来長らく、非暴力的な方法で意見の表明を行った結果として逮捕投獄された政治犯の原状回復(釈放)を求めるなど、「今、そこにある」人権侵害への取り組みを中心に活動してきた。その結果、ある場合には社会主義的な、別の場合には自由主義的な思想傾向を持つ人物への処罰が人権侵害事案と認定されている。ただしアムネスティは全ての言論を無制限に自由化することを求めているわけではなく、ネオナチなどによるヘイトスピーチを規制することには反対していない。ネオナチとは別個に歴史学上の見解としてホロコーストの信憑性に疑義を唱えたために投獄された人達も、アムネスティの支援対象になっていない。


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