アムネスティ・インターナショナル
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ピーター・ベネンソンイギリス、1961年 - 1966年)

エリック・ベイカー(英語版)(イギリス、1966年 - 1968年)

マーティン・エナルズ(英語版)(イギリス、1968年 - 1980年)

トマス・ハマーベリスウェーデン、1980年 - 1986年)

イアン・マーティン(英語版)(イギリス、1986年 - 1992年)

ピエール・サネ(英語版)(セネガル、1992年 - 2001年)

アイリーン・カーン(英語版)(バングラデシュ、2001年 - 2010年)

サリル・シェティ(英語版)(インド、2010年 - 2018年)

クミ・ナイドゥ(英語版)(南アフリカ、2018年 - 2020年)

ジュリー・ヴェルハール(2020年 - 2021年)

アニエス・カラマール(英語版)(フランス、2021年 - )

活動
原則と範囲

欧米では「最も信頼できる国際組織」として高い評価を得ているが、その理由の一つとして、欧米のアムネスティが一貫して政治的に中立性を保つ努力をしていることが指摘されている。たとえば、米国のアムネスティは他国のアムネスティと同様死刑に反対しているが、特定の政党や政治勢力を直接・間接に支持することはなく、公職選挙において特定の候補者に投票する、あるいはしないようにアムネスティの名で呼びかけることも避けている。伝統的に死刑支持者の多い共和党の党員も数多く米国のアムネスティに入会している。また、米国アムネスティは民主・共和両党の党大会に代表を派遣して影響力の維持に努めている。

アムネスティは戦時下でも人権が保護されるように交戦国双方に働きかけるが、戦時国際法で認められた正規の戦闘行為としての武力行使そのものには賛成も反対もしないことを運動の原則としてきた。最近では、ダルフールにおける人権侵害をくいとめるため国連軍の派遣を安全保障理事会に要請するなど、特定の軍事行動を慫慂ないし支持する場合もみられる[11]。この例が端的に示す通り、アムネスティは非武装中立のような絶対的平和主義には与していない。

アムネスティの「自国条項」すなわち、各国支部は死刑執行反対等を除いては原則として自国内の個別の人権侵害案件に介入しないという規定も、政治的中立性を守る努力のあらわれである。各地で起きた個別の事案をアムネスティが取り上げるべき人権侵害として認定する権限は支部にはなく、その判断は国際本部にゆだねられている。冷戦時代にはアムネスティは東側陣営西側陣営第三世界からそれぞれ同数の「良心の囚人」事案を認定して支援することにより、「イデオロギー的/地域的に偏っている」「人権問題に二重規範(ダブルスタンダード)を持ち込んでいる」という批判を避ける努力をしていた。なお自国条項は現在緩和の傾向にあり、アムネスティ内の各アクター間の調整に基づき自国の具体的ケースへの関与も試行されている。

このようにアムネスティが政治的中立性の維持に格別の努力を払ってきた背景には、「人権」ということばがしばしば政治宣伝の隠れ蓑として恣意的に利用されてきたという歴史的経緯がある。アムネスティが結成された当時すでに、言論機関やさまざまな団体が表向き不偏不党の姿勢を装いながら、実際には自陣営内で起こった人権侵害は不問に付する一方で敵対陣営側の人権問題だけを大きくとりあげて非難するという「人権のつまみぐい」が頻発していた。そのため、「人権擁護」というスローガン自体がうさんくさい目でみられる風潮すら一部に生じていた。したがって、認定する案件数なども含めて均衡を保つことを明示的に義務づけることによって政治的中立性を保とうとするアムネスティの規定は斬新なものであったといえる。

アムネスティは結成以来長らく、非暴力的な方法で意見の表明を行った結果として逮捕投獄された政治犯の原状回復(釈放)を求めるなど、「今、そこにある」人権侵害への取り組みを中心に活動してきた。その結果、ある場合には社会主義的な、別の場合には自由主義的な思想傾向を持つ人物への処罰が人権侵害事案と認定されている。ただしアムネスティは全ての言論を無制限に自由化することを求めているわけではなく、ネオナチなどによるヘイトスピーチを規制することには反対していない。ネオナチとは別個に歴史学上の見解としてホロコーストの信憑性に疑義を唱えたために投獄された人達も、アムネスティの支援対象になっていない。

アムネスティは捜査・司法当局に対して罪刑法定主義や訴訟法の手続きを厳密に守ることを求め、令状によらない逮捕拘禁裁判無しの長期勾留に対しては抗議を申し入れる。無罪推定の原則に則り、被疑者や被告に対して合理性を欠く権利制限を加えることに反対している。

近年にいたり、アムネスティ結成以前を含む過去に生じたとされる人権侵害の責任追及や謝罪と補償の要求、さらには妊娠中絶の非犯罪化など、従来よりも広い範囲に活動を広げようとする動きがある。アイリーン・カーン事務総長のもとでアムネスティが妊娠中絶の許容を運動目標に加えたことにより、それまで死刑反対運動を通じて良好な関係にあったカトリック教会などとの軋轢が表面化しつつある。
情報収集

アムネスティは多様な情報源を複合的に活用した高度な情報収集分析能力を持つことでも知られている。人権侵害の疑いのある国に対しては現地での調査を申し入れるのが常である。相手国が人権侵害の事実を否認し調査団の受け入れを拒否した場合でも、国外に逃れ出た難民に対する聞き取り調査などの代替手段を有効に活用して詳細な実態調査報告書を作成している。たとえば中華人民共和国占領下のチベットでの人権抑圧の実態を把握するうえでは、インド在住の避難民からの事情聴取が重要な役割を果たしている。
報告書

こうして得られた情報を基に毎年、年次報告書がロンドンの国際事務局から出されている。アムネスティ日本ではこの年次報告書をボランティアが毎年翻訳し、出版している。その他、世界各地の人権状況に関するプレスリリースをことあるごとに行っている。これらのアムネスティ文書は権威あるソースとしてマスメディア等にしばしば取り上げられる。

とはいえ、アムネスティの報告が常に無謬であるわけではない。1991年湾岸戦争に先立っては、クウェートに侵入したイラク軍兵士が新生児を生命維持装置から取り外すなどして多数を殺戮したというアムネスティ文書(1990年)がセンセーショナルにとりあげられ多国籍軍の介入を支持する材料の一つとして用いられたが、後にこの新生児殺害の情報はクウェート亡命政府の意を受けた広告会社による捏造(ナイラ証言)であったことが明らかになっている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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