アミ族
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秀姑巒アミ群(中部アミの一部、中央山脈と海岸山脈の間の平野、秀姑巒渓流域に住む)

海岸アミ群(中部アミの一部、海岸山脈よりも海岸沿いの一帯に住む)

卑南アミ群(南部アミの一部、別名ファランガウ・アミ、成功鎮以南の海岸沿い、および台東平野に住む。ファランガウは台東市の馬蘭という集落のアミ語での名称)

恒春アミ群(南部アミの一部、恒春半島に住む)

しかしこうした分類は、広く受け容れられているものの、地理的な区分や部族の移住の結果に基づいているに過ぎない。文化、言語、身体的特徴などの調査から分かったアミ族内部の相違とは一致していない。民族的に最も近いのはフィリピンの諸民族であると考えられる[3][4]
神話と民話

光る女の子 Tiyamacan

Tiyamacanは、生まれつき全身がまるで太陽のように輝く美女であった。

ある日、彼女は川で水を汲もうとしたが、たくさんの腕輪をはめていたため重さで壺を持ち上げられなかった。困っていると、波から一人の男性が現れた。この男はFerarakasといい、正体は海神の息子だった。FerarakasはTiyamacanに一目惚れし、プロポーズした。Tiyamacanは驚き、「両親と相談してから決める」と応えた。FerarakasはTiyamacanを手伝い、Tiyamacanは壺を頭に載せ、運んでもらって家に帰った。

Ferarakasは村を訪ね、Tiyamacanを娶る話を無理やり要求した。両親は決して同意しなかった。両親はTiyamacanを隠そうとしたが、タンスに隠しても、箱に隠しても、Tiyamacanを掘った穴に隠させても、挙句は肥溜めまで入らせたが、彼女が放つ光のため隠しとおすのは無理だった。

5日後、暴風雨と共に、津波が襲来してきた。FerarakasがTiyamacanが妻として迎えに来たのである。Tiyamacanは大洪水に巻き込まれ、海神の宮殿に攫われた。

一方、彼女の父と母は長男、次男、三男を連れ、台湾の中央山脈の山頂に逃げた。四男Dociと長女Lalakanはちょうどで米を搗いていたので、咄嗟に臼に乗り、漂って流れ、現在花蓮県豊浜郷にあるCilangasan(?公)という山(現在の八里湾山)に泊まり、そこで結ばれアミ族の先祖になった。DociとLalakanはきょうだいであったため、兄弟姉妹婚の結果で妊娠しても生まれるのは、蛇や亀やトカゲやカエルだった。夫婦が嘆いていると太陽神が空から降り、祭りの式次第を教えた。夫婦が祀った後は、人間の赤子が生まれるようになった。

長男Tadi' Afoはタイヤル族の先祖、次男Dadakiyoloは台湾西部平野の原住民(平埔族)の先祖、三男Apotokはブヌン族の先祖という伝説もある。

アミ族の考えでは、太陽は女性とされる。これは日本の記紀神話と共通する。天照大御神もTiyamacanも、あきらかに太陽神的である。

巨大な凧の縄に縛られた岩

アミ族の兄弟2人が空腹に耐えかね、プユマ族の畑でサトウキビを盗んだ。それをプユマ族に見とがめられ、兄は逃げおおせたが、弟は捕らえられてしまった。

兄は巨大なを作り、浜にある岩に凧の縄を巻き付け、凧を揚げた。凧が風で震え「ブーン」と音がする。プユマ族らは訝しみ、家を出、空を見て驚いた。弟は「もし僕の束縛を解いて自由にしてもらったら、お礼として、凧を取ってあげる」とプユマ族らを説得した。そしていましめを解いてもらうや跳ね上がり、巨大な凧に乗ってプユマ族からの逃走に成功した。

弟はプユマ族から様々な不潔な物を食べさせられたので、兄の助けでそれらを吐き出した。嘔吐物は沼になった。一方で兄が凧を揚げていた際、凧を操るため全身に力を込めたせいで足が土を押し動かし、土が溜まって丘ができた。

同様な民話はプユマ族にもある。だが「兄弟2人」と「兄弟を捕らえる者」は、アミ族の伝承と役割が逆転している。
風習

アミ族は母系社会に近い形態であったので、家族の仕事は女性主体であり女性が責任を持つ。母系相続を行うため[5] 家業・財産は長女が受け継ぎ、以下優先順位は女性側にある。またも母方の姓が引き継がれる。

家長は女性であるが、一方で集落をまとめ上げる村長「カキタアン」は男性であり、家長の夫である男性の長老「マトアサイ」が形成する長老会議が村を運営する。集落の男性は成年式を迎え、一人前と認められれば青年団「カッパー」に入団する。カッパーは細かい年齢階級「スラル」に分かれ、責任などもこの階級によって決められる。基本的に下の組は上の組に絶対服従する。それぞれの「スラル」の名は、結成された年代の流行、事件、組の動向にちなんで命名される。

以下は、歌手郭英男を生んだ台東市馬蘭の19世紀後半から20世紀後半にかけてのスラル名一覧。

スラル名意味年代
ラ・シンシン。当時、刀の柄を鈴で飾ることが流行していた。
ラ・トコス山を意味する。山のように尻が重く、仕事をしない組
ラ・アベンアベンは漢人。この年、漢人が村から追い出された
ラ・トンストンスは通事。次から次へと脈絡の無い話をする組。
ラ・ツクル下を向き、決して威張らない組。1938年当時、この組所属の男性・ボトル(68歳)が村長だった。
ラ・リポンリポンは日本。組が結成されたころ、初めて日本人が台東に現れた
ラ・クリクリは苦力。組が結成されたころ、知本温泉方面へ道路建設の労役に出されるようになった。
ラ・チンビンチンビンは騎兵。村に騎兵が現れた
ラ・サマイサマイは木の名前。村長が檳榔の代用になる、サマイの木を採らせた
ラ・スンテンスンテンは壮丁。漢人の壮丁団が穿いていた赤いズボンが物珍しかった。
ラ・ホンテホンテは皇帝(日本国天皇)。明治天皇の崩御を悼んだ。
ラ・インパイインパイは勲章。台東に来た日本の高官が、勲章をつけていたから1976年当時、87?89歳。


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