アミューズ
「アミューズ」という社名は大里が命名し、英語で「人を楽しませる・喜ばせる」という意味がある「アミューズ(amuse)」と、ギリシャ神話に登場する文芸や音楽などの芸術を司る9人の女神を意味する「ミューズ(muse)」をかけ合わせている[13][14]。
前述の通り、当初、バーニングとは、運営資金の出資を受けたり、周防から原田やサザンオールスターズの紹介を受けるなどの関係があり、周防はアミューズをバーニングのグループ企業と認識していた。そのため、サザンオールスターズの「いとしのエリー」までの版権はバーニングパブリッシャーズが持っていた(それ以降は持っていない)。現在は特に関係はないようで、周防は「株式上場したときにも何の挨拶もなかった」「運営資金は返してもらっていない」と話している[15]。
渡辺プロとは、暖簾分けではなく、出資も受けていないが、当初は大里個人が引き続きキャンディーズのマネジメントも請け負うなど、一定の協力関係にはあった。
1978年
大里がキャンディーズの解散コンサートのプロデュースに専念し、原田を他のスタッフに任せている間、アイドルとしての売り出し方を嫌うようになった原田がアミューズを退社[8]。
原田の独立から2週間後、サザンオールスターズが入れ替えに入社し、同年6月にデビュー[8]。上半身裸、ランニングパンツ姿でのテレビ初出演が話題になる。アミューズ初のファンクラブ「サザンオールスターズ応援団」発足し、その後もウェブサイトやモバイルファンクラブ、アイテム販売型ファンサービスなどを行っている[16]。
10月、東京都渋谷区代官山町に「株式会社アミューズ」設立(資本金5百万円)[10]。
1980年
三宅裕司のマネジメントを行なうことになり、サザンオールスターズと共に同社の二枚看板となる。
10月、山本久が代表取締役社長に就任し、大里は代表取締役会長になる[8][17]。
1981年
3月、劇場用映画製作・配給会社「アミューズ・シネマ・シティ」(1990年10月に「アミューズシネマ」に商号変更)を設立。1作目として、『モーニング・ムーンは粗雑に』を製作[9][18]。
1983年
富田靖子がデビュー。富田は、唄やバラエティもこなしたものの、映画女優が活動の中心であり、同社は音楽(サザン)、演劇&バラエティ(三宅)、映画&ドラマ(富田)と、それぞれが重複の少ない分野をカバーする三枚看板体制となった。この三人(組)は四十年前後を経た現在も揃って同社に所属し続けている。
1988年
本社を渋谷区東三丁目に移転[19]。
1987年
3月、「アームコミュニケーションズ」(1996年1月に「藝神出版社」、1997年6月に「アミューズブックス」に商号変更。2003年業務停止)を設立[19]。
4月、東京都世田谷区のレコーディングスタジオ「アミューズスタジオ」が完成する[10]。
アミューズ創立10周年を記念し、「アミューズ・10ムービーズオーディション」を行う。オーディションでは、福山雅治、東根作寿英、奥貫薫らを発掘した[16][20]。
1989年 - 2000年代
1989年
三宅が司会を務めたTBS系バラエティ番組「平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国」をサポートしたことをきっかけとして、以後、制作プロダクション機能がアミューズに設けられることとなり、番組制作へ進出。テレビ制作室、メディア事業部と制作部門の名称は変遷した。
1990年
「アミューズビデオ」(2000年10月に「アミューズピクチャーズ」に商号変更。2003年には、東芝に売却[注釈 2])を設立。
1994年
アミューズビデオの関連会社として「アミューズソフト販売」(2004年に「アミューズソフトエンタテインメント」に商号変更、2015年に吸収合併)を設立。2003年に、アミューズピクチャーズを売却後は、映像事業の中核を担う。
1995年
バンダイと共同出資でアニメ会社「エアーズ」を設立(2015年清算結了)。エアーズ消滅後は「トライネットエンタテインメント」がアニメ関連事業を手掛けた。
シネカノンと共同で設立した「アミューズシネカノン」(1995年7月設立、2008年に株式譲渡[21])が、映画館「シネ・アミューズ」(「ヒューマントラストシネマ文化村通り」に改称後、2009年10月31日閉館)をオープン[9]。
1996年
映画事業部を設ける。映像事業に積極的な意欲を見せた。
1997年
渋谷区桜丘町に本社を移転[9]。
2001年
9月20日、大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場へ株式上場。
2004年
3月24日、東京証券取引所市場第二部へ上場[9]。
12月15日、北海道の芸能プロダクション「CREATIVE OFFICE CUE」と業務提携し、演劇ユニットTEAM NACS(森崎博之、安田顕、戸次重幸、大泉洋、音尾琢真)と同社現会長兼タレントである鈴井貴之の同社所属タレントの全国展開マネジメントを開始[22]。
ウィルコーポレーションを吸収合併することにより、現在のアミューズWILL事業部を設立。この部門は、主にローティーンからティーンエイジャーのタレントの発掘、教育、マネジメントを行う。ウィルコーポレーション時代からアミューズへの所属になったタレントは、上野樹里や吉高由里子などがいる。
2005年
4月1日 - 山本久が代表取締役社長を退任し、松崎澄夫が代表取締役社長となる[23]。
月刊「De-View」とコラボレーションし、男性部門・女性部門のオーディション「第1回アミューズ王子様お姫様オーディション」を開催。応募者約5,000人の中から、男性部門のグランプリには水田航生、準グランプリには戸谷公人、女性部門のグランプリには田中美晴、準グランプリには山本ひかるを選んだ。
アーティストのオフィシャルグッズを販売するインターネットショップ「AMBRA」(後の「アスマート」)開設[9]。
2006年
7月6日、京都市に本社を置く着信メロディ配信会社「フェイス」と共に、映画制作会社「デスペラード」を東京都内に設立。
8月26日・27日の2日間、サザンオールスターズの桑田佳祐の呼びかけにより、事務所の主要アーティストが多数出演する野外フェスティバル『THE 夢人島 Fes.2006 WOW!! 紅白! エンタのフレンドパーク Hey Hey ステーション …に泊まろう!』を開催。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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