アマチュア
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ナチス・ドイツは、1936年ベルリンオリンピックプロパガンダの目的に使った。

第二次世界大戦後になると、ソビエト社会主義共和国連邦などの共産主義諸国(東側諸国)がオリンピックを宣伝目的に使い、それに対抗するように、アメリカ合衆国などの資本主義諸国(西側諸国)も行うようになった。

社会主義国では、競技者の生活を補償する必要に迫られ、国家が(トレーニングにだけ集中できる生活環境を無償で提供して)養成する選手(ステート・アマチュア)が登場し、米国では、奨学金によってスポーツに励む選手(スカラシップ・アマチュア)が登場し、他の多く資本主義国でも、スポンサー企業の援助を受けて(生活環境や道具を整えてもらい)その代償として宣伝に使われる選手(コマーシャル・アマチュア)が誕生した[2]

たとえば「ステート・アマ」とはスポーツに専念できる環境を国家によって与えられた者であり、トレーニング期間中や競技者でいる期間は金銭は得ていないので一応は「アマチュア」ではあるものの、メダルを獲得すれば将来、競技者を引退後、一般人よりも恵まれた年金を与えられるなど別の形で金銭的見返りがあった。ステート・アマをアマチュアのカテゴリとして捉えてよいのかについては議論の余地が残る。同様にコマーシャル・アマチュアも(現金は得ていない場合でも、実際には貨幣に換算可能な現物を支給されており)アマチュアのカテゴリに入るのか議論の余地が残る。

1945年以降、流動する社会情勢やスポーツの「水準の向上」(≒尋常でないトレーニング量が要求される質、技)などによって、伝統的なアマチュアリズムの考え方では対応しきれなくなってきていた[2]。(西側世界(資本主義の諸国)では、スポーツ大会やアスリートに対する商業主義の侵食も激しくなった。)ついにはアマチュア規定緩和の方向へと進み、1962年にはクリケットがアマチュア規定を廃止し、1968年にはテニスのウィンブルドン大会がプロフェッショナルにも開放された[2]

IOCは、ステート・アマに対する西側からの批判、更にプロ選手を出場させる事によって得られそうな経済的な見返りから、1974年オーストリア首都ウィーンで開催された第75回国際オリンピック委員会総会で、オリンピック憲章からアマチュア条項を削除し[9]、オリンピックの「オープン化」を図り、アマ/プロの区別なく参加できるようになり、アマチュアからプロへ転向する選手や、プロであることの宣言を行う選手が出るようになった。
日本におけるアマチュア競技

日本のスポーツ牽引してきた要素として学校スポーツ企業スポーツがある。これらはいずれもアマチュアスポーツとして発足したが、オリンピックと同じく現状でアマチュアである事に意味が見出せなくなっている。現状でもこれらがアマチュアスポーツであるという理解の仕方は存在するが、アマチュアの定義や学校スポーツ・企業スポーツの現状を無視したものであり、精神的にでクラシカルな認識、定義の方法である。

学校スポーツは高校や大学の体育会系で行われているスポーツである。特に後者については企業スポーツが整備されるまでは日本のスポーツの牽引役を担ってきた歴史がある。柔道などでは形式上企業スポーツに移行した選手でも実体は出身校などの学校スポーツで普段練習しているケースもある。現状においてはこれらのトッププレイヤーはスポーツで活躍する事を期待され入学を許可されていたり、その見返りとして学費や部費の免除が与えられている。これらは「スポーツ特待生制度」などと呼称されるが、これは経済的な見返りではなく、特に私立学校の選手はステート・アマの一種とみなされることもある。

企業スポーツは会社内の同好会やサークルとして始まったものである。1960年代以降全国規模のリーグ戦が実施されるようになって企業アマ(あるいはコーポレート・アマ)と呼ばれる形態が成立し、それ以前の大学スポーツに代わって国内スポーツのけん引役を担うようになった。企業アマとは社員・職員の福利厚生や健康増進、若しくは企業の対外的な宣伝効果を名目として、所属する企業から金銭的支援システムがあった。例えば就業時間内に練習をしても、あるいはスポーツ活動専業で社業に従事していなくても、就業したものと見なして賃金を払ったり、体育館やグランドの整備に会社からの金銭的支援があるという仕組みであった。こうした企業アマについてもステート・アマと同じく「アマチュア」と呼んでいいのかについて議論の余地が存在する。企業によるスポーツ活動はあくまでも企業メセナの一環であり、会社の業績如何、若しくは全体的な好不況の如何によって整理、廃止される事がある。リーグ自体が存在できなくなったという場合も想定できる。

西ヨーロッパで重要な位置を占めているアスレチッククラブ、スポーツクラブなどでの社会スポーツの形態は日本ではレクリエーションスポーツや習い事としては盛んである。チャンピオンスポーツ・トップレベルの選手育成をこの社会スポーツに主流をおいているのは水泳アーティスティックスイミングフィギュアスケート体操ゴルフなど一部の競技に限定されてきた。1990年代以降になってJリーグはこうしたスポーツクラブの形態を積極的に推奨した。また、バブル崩壊以降の景気後退の局面で、経済的な判断によって企業から放り出されたチームが積極的に企業スポーツから社会スポーツに転換する例も見られるようになった。こうした経緯によって、社会スポーツは既存の学校スポーツや企業スポーツに次ぐ第三のスポーツの場として、日本でも重要度が増してきている。Jリーグにおいては年代別チーム(ユース、ジュニアユース、ジュニア)の所有を義務付けており、また、これ以外にも女子チームやアマチュアチームを所有するクラブが存在する。またサッカーに限らず幅広いスポーツの普及、選手の育成に乗り出すクラブも存在する。Jリーグ主導のクラブは既に収入を得る仕組みを有しているためクラブ財政が許容する範囲で選手に支援する事が可能である。また、これ以外のスポーツクラブについてもトップレベルの選手を商業的に利用したり、クラブがスポンサーからの提供によって運営資金を得ている。この範囲の中で選手にお金をかけるのはJリーグクラブと共通である。また、柔道やレスリング、相撲などを除くマイナー格闘技、マイナー武道や武術の世界はトップレベルの選手育成も含め社会スポーツ中心で古くから行われている。この社会スポーツが「真のアマチュア」と捉えられているが、自らや家族の金銭的支援が多く、貧困層の参加が困難であり、スポーツ界における経済力での差別を生む要因および「スポーツの貴族回帰」との批判がある。

全てのスポーツが程度の差はあるが上記のような現状であると理解して構わない。トップレベルの選手はアマチュアでないことが多いが、アマチュアでなくてもオリンピックやその他国際大会には出場可能である。


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