アポロ17号
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地位[7][11]飛行士
船長ジョン・ヤング (John Young)
司令船操縦士スチュアート・ルーサ (Stuart Roosa)
月着陸船操縦士チャールズ・デューク (Charles Duke)

17号はアポロ計画最後の飛行であり、予備搭乗員がその後に飛行することはなかったため、当初は15号の本搭乗員が指名されていた。だが1972年初め、スコットらが金銭的な報酬と引き換えに月に記念切手を持って行ったという事実が発覚し、NASAと空軍から懲戒を受けた(彼らは3人とも現役の空軍軍人であった)ため、飛行人事部長のスレイトンは彼らを任務から外し、代わりに16号の本搭乗員だったヤングとデューク、そして14号の本搭乗員で16号の予備搭乗員だったルーサを指名した[10][12]
支援飛行士

ロバート・オーバーマイヤー (Robert F. Overmyer)
[13]

ロバート・パーカー (Robert A. Parker)[14]

ゴードン・フラートン (C. Gordon Fullerton)[15]

計画の記章

記章の中で最も特徴的なのは、ギリシャ神話太陽神アポロンと、背景に描かれたアメリカを象徴する鳥ハクトウワシである。ワシの中には星条旗を表す赤い横線が引かれ、その上の3つの星は宇宙飛行士を象徴している。背景には月と土星そして銀河が描かれ、さらにワシの羽根の一部は月にかかっていて、人類がそこに降り立ったことを示唆している。アポロンとワシの視線が外宇宙に向けられているのは、人類の宇宙開発の目的地がそこであることを表している[16]

記章の色には、星条旗を構成する色である赤・白・青とともに、17号から始まるであろう宇宙飛行の「黄金時代」を象徴する金色が含まれている。太陽神の顔は、「ベルヴェデーレのアポロン (Apollo Belvedere)」と呼ばれる彫刻が元になっている。この記章は、飛行士たちの意見を元にイラストレーターのロバート・マッコール (Robert McCall) がデザインした[16]
計画と訓練オンタリオ州サドバリーで地質学の訓練に参加するサーナン。1972年5月。

17号はその前の15号や16号と同様に、月面に3日間滞在し月面車を使って科学的探査の能力を向上させた「J計画」に分類されるものであった。アポロ計画では最後の飛行となるため、着陸地点の選択においては、いまだ訪れたことがないような場所であることが最重要項目として挙げられた。第一の候補であったコペルニクスクレーターは、12号がすでにその場所が形成されたときの隕石衝突の生成物を持ち帰ってきており、また他の飛行でも雨の海周辺のサンプルは得られているという理由で除外された。月の高地にあるティコクレーターも考慮されたが、地形が荒く着陸には適さないという理由で却下された。また月の裏側にあるツィオルコフスキークレーターは、技術的な問題や月面活動をする際の地球との通信にかかる費用の点などが考慮され除かれた。さらに危難の海の南西部は、ソ連の宇宙船でも容易に接近できるという理由で候補から外れた。事実、17号の着陸地点が決定した直後に無人探査機ルナ20号がその場所に降り立ち、30gのサンプルを持ち帰ってきたのである[4]

こうしていくつかの候補が除外された後、最終的にアルフォンサス (Alphonsus) クレーター、ガセンディ (Gassendi) クレーター、タウルス・リットロウ渓谷の3つが残った。最終決定をするにあたって考慮に入れられたのは、17号の根本的な飛行目的だった。その目的とは、(1) 雨の海から相当程度離れている月の高地のサンプルを採集すること (2) 若い (たとえば30億年以前) 火山活動の生成物を採集すること (3) 司令船が月周回軌道上から月面を観測する際、その領域が15号や16号のものとはあまり重ならず、なるべく新しいデータを得られるようにすること、であった[4]

タウルス・リットロウが選ばれたのは、谷の南壁で起こった地滑りの残余物から古い高地の物質のサンプルを得られるかもしれないと予測されたことや、その地域で比較的新しい時代に噴火活動が起こった可能性があったからだった。リットロウは15号の着陸地点と同様に月の海の周辺に位置していたが、その利点は欠点を上回ると考えられたため、17号の目的地と決定した[4]

17号では、アポロ計画で唯一「横断重力計実験 (Traverse Gravimeter Experiment, TGE)」が行われた。この装置は飛行士が船外活動をしながら着陸地点周辺の様々な場所の相対重力を測定するよう、マサチューセッツ工科大学ドレイパー研究所によって作られたものだった。科学者らはこの装置で得られたデータを、着陸地点と周辺地域の地質学的構造に関する情報を集めるために使うことになっていた[17]

それ以前の飛行と同様、飛行士らは月面でのサンプル収集・宇宙服の使用方法・月面車の操作・地質学の学習・サバイバル訓練・地球への帰還時の海上からヘリコプターへの回収・機器の操作など、広範な訓練を行った[18]
機器と実験
横断重力計実験

前述のとおり、横断重力計実験 (TGE) はアポロ計画の中では17号でのみ行われたものだった。重力法は地球での地質学調査で有用であることが証明されており、この実験の目的は、同じ技術を月の内部構造を探るために使うことが可能であるかを検証することだった。この計測器を使って、着陸船の近辺および探査ルートの様々な位置で測定値が得られた。TGEは月面車に搭載され、月面車が動いていない時か、または計測器が月面に置かれている時に飛行士がデータを測定した[19]

計測は3回の月面活動の中で合計26回行われ、満足な結果が得られた。一方でALSEP(月面実験装置群)の中にも重力計があり、月面に設置されたが、こちらのほうはついにうまく機能することはなかった[17]
科学機器搭載区画17号の科学機器搭載区画 (SIM)。月周回軌道上で着陸船から撮影。

機械船内部は中心から六つに等分割されており、その中の第1区画が科学機器搭載区画 (Scientific Instrument Module, SIM) に割り当てられていた。SIMは月面電磁サウンダー、赤外放射計紫外線分光器という3つの主要な実験装置から成り立っており、また地図作成用カメラ、パノラマカメラレーザー高度計なども搭載されていた[19]

月面電磁サウンダーは月の表面に向けて電磁波パルスを放射し、地下1.3キロメートル までの月の内部構造に関する地質学的データを得るものであった[19]

赤外放射計は、月の表面の温度分布図を作成し、岩場・地殻の構造差・火山活動の痕跡などの特徴を明らかにする目的で設計された[19]

遠紫外線分光器は、月の組成や密度および月の大気のデータを取得するために使用された。また、この分光器は、太陽から放射され月面で反射した遠紫外線も検出するように設計された[19]

レーザー高度計は宇宙船の高度を誤差2メートル以内で測定し、そのデータをパノラマカメラと地図作成用カメラに送信するように設計された[19]
閃光現象

アポロ計画の宇宙飛行士たちは、飛行中にまぶたを閉じていても閃光が目の前を走るのを目撃していた。「稲妻 (streaks)」「光点 (specks)」などと呼ばれたこの光は、宇宙船内の光量が落とされた睡眠時間中によく観測された。その頻度は1分間に2回ほどで、月に向かう軌道上、月を周回する軌道上、月から帰還する軌道上で発生したが、なぜか月面では観測されなかった[19]

この現象は宇宙線と関連するものと見られており、それを検証すべくNASAとヒューストン大学の共同で実験が行われた。16号でも実施されたこの実験では、飛行士の1人が測定器を身につけ、装置を貫通した高エネルギー素粒子の時間・強度・軌跡などが記録された。分析結果は、この閃光現象が荷電粒子網膜を通過することにより発生するのではないかとする仮説を支持するものであった[19][20]
月面電気特性実験月面での廃棄地点に置かれた月面車。車両右後部の高利得アンテナの上にあるのが月面電気特性 (SEP) の受信機。

17号で唯一行われた実験の中に、月面電気特性 (Surface Electrical Properties, SEP) 実験があった。


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