アポロ1号
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宇宙船が搬送されてくる1週間前の1966年8月19日、シー自身も参加して宇宙船に関する検討会が開かれたが、その中で飛行士たちは、道具を船内のいろいろな場所に留めておくのに便利なようにと技術者たちが取りつけた、ナイロンベルクロなどのような大量の可燃性の物質に関する懸念を表した。シーは宇宙船には問題はないとしたが、会議の後で飛行士たちは、宇宙船の模型に向かって頭を垂れ、祈るように手を合わせている写真を撮り、以下のようなメッセージをつけてシーに送りつけた。

私たちはあなたを信用していないわけじゃありません、ジョー。でも今回ばかりは、あなたの上司に直談判することに決めました。[15]

シーは可燃物を船内から取り除くよう、部下を通してノースアメリカンに命じたが、彼自身はこの問題を監督しなかった[16]。人間はしばしば、この種のことから目を背けたがるものかもしれませんが、破局的な事態に陥る可能性というのは常に存在するのです。これはどんな飛行でも同じです。初飛行でも起こりうるし、最後の飛行でもそうです。だから万が一の事態に対しては、常に最善をつくして備えておかなければなりません。よく訓練された飛行士たちがいてこそ、はじめて飛行は実現されるのです。 ? 1966年12月、ガス・グリソムへのインタビューから、[17]
事故
プラグ切り離し試験アポロ1号のハッチは外層と内層の2つで構成されている。内層は内側に開くため、船内の気圧は外気圧よりも高くなってはならない。上昇中の動圧や緊急脱出用ロケットの燃焼ガスから機体を守るための保護カバー(のハッチ)は、この写真では見ることはできない。

1967年1月27日、宇宙船につながれている電線や供給ケーブルを(あくまでもシミュレーションだが)切り離し、内部電源だけで作動できるかどうかを検査する試験が行われた。この試験の成否に、来る2月21日の発射が成功するかどうかがかかっていた。ただしこの時は、宇宙船とロケットの双方には極低温の燃料や酸化剤は搭載されておらず、また爆発ボルトは使用できない状態にされていたため、試験自体は危険なものではないと認識されていた[6]

午後1時(東部標準時)、3飛行士が完全に与圧宇宙服一式を着込み、グリソム、チャフィー、ホワイトの順で司令船に乗り込んだ。だが作業員がシートベルトを締め、酸素パイプや通信機器のケーブルを宇宙服につないだところ、さっそく問題が発生した。グリソムが宇宙服の中を循環している空気の中に、彼が言うところによれば「発酵したバターミルクのような」異臭を感じたのである。そこで空気のサンプルを抽出するため、午後1時20分に模擬の秒読みが中断された。この異臭の原因は結局究明することはできなかったが、午後2時42分に秒読みは再開された(後に事故調査委員会は、この異臭は事故に直接の関係はなかったと結論づけた)[6]

再開から3分後、ハッチの密閉作業が始まった。ブロック1のハッチは3つの部分から構成されていた。内側から1番目は取り外しができる内部ハッチで、これはハッチを開けた際に船内に残る。2番目は蝶つがいのついた外部ハッチで、宇宙船の外部を覆う熱保護シールドの一部となっている。3番目は、発射時に大気圏内を上昇する際の熱から司令船を保護するためのカバーの中に組み込まれているものである。このカバーはまた、緊急脱出用ロケットが司令船を牽引する際の燃焼ガスから司令船を保護する役目も持っている。外部カバーのハッチの下には、電源や燃料を供給するためのケーブル類が張り巡らされており、またカバー自体も柔軟性を持つ素材で作られているため、全体がわずかにゆがんでいる。そのためカバーハッチは一部が固定されていただけで、全体が正しい位置には収まってはいなかった 。ハッチが閉じられると、気密室内の空気は高圧(16.7 psi = 約 0.12 MPa)の純粋酸素に入れ替えられた[6]

ところがここで、さらなる問題が発生した。ひとつは警報機を誤作動させた宇宙服内の高濃度の酸素流動である。この原因は、飛行士が体を動かしたことによるものであると考えられた。宇宙船の慣性誘導装置とグリソムの「送話状態になりっぱなし」のマイクロフォンが、この動きを誤って検知したのである。3番目の大きな問題は、搭乗員、管制検査ビルディング、34番地下壕式複合管制室を結ぶマイクロフォンの、この「送話状態になりっぱなし」状態(プッシュ・ツー・トークの故障)であった。グリソムはこれについて、「この3箇所の間で会話ができなかったら、俺たちはどうやって月に行けばいいっていうんだい?」と言っていたほどであった。午後5時40分、これらの問題解決のために模擬カウントダウンは再度停止された。電力供給のシミュレーションを含むすべての秒読み作業は午後6時20分までには完了したが、6時30分の時点で、秒読みは発射10分前の状態にとどめ置かれていた[6]
出火1号のキャビンの中に残る黒こげの残骸

搭乗員たちはこの待ち時間のあいだに、チェックリストの再点検を行っていた。午後6時30分54秒(23:30:54 GMT)、電圧計がほんの一瞬だけ上昇するのが記録された。10秒後、チャフィーが「おい」(Hey)と言い、そのあと何かを引きずるような音が3秒間続き、グリソムが「火が燃えはじめている」と伝えた。続いてチャフィーが「操縦室内で火災が発生している」と報告し、ホワイトがそれに応答した。12秒後、チャフィーが他の乗組員たちに司令船から脱出するよう促した[18][19]。いくつかの目撃証言によると、ホワイトはテレビの画面内で火が左から右に燃え広がる中、内部ハッチ開閉用のハンドルに手を伸ばそうとしていたという。最初に火災の報告があってから17秒後の午後6時31分21秒、誰かの悲鳴が聞こえた直後にとつぜん通信が途絶えた。火災ガスにより船内の気圧は29 psi(約 0.20 MPa)まで上昇し、その後爆発が発生して船内の機器が破壊された[20]船室の壁が破壊された後、燃え上がった炎で真っ黒に焦げた司令船。

燃焼ガスと炎は、開放されていた点検窓から吹き出して整備塔の2層の足場をなめ、司令船の外壁をかけ上がった。地上の作業員のために用意されたマスクは主に有毒ガスに対処するためのもので、煙に対してはあまり役に立たなかった。そのため強い熱と濃い煙に妨げられ、救助隊員たちの救出活動は遅れた。さらに燃えさかる司令船のすぐ上には、緊急脱出用ロケットがあった。もしその固体燃料に引火すれば、一瞬で近くにいる隊員たちが命を落とすおそれがあった。3層のハッチをすべて開けるのに、5分が費やされた。だがいちばん内側のハッチは操縦室内に落とすことができなかったため、隊員たちは設計とは違う方法で、横に引っ張り開けなければならなかった[6]

この頃には司令船はすでに鎮火し、船内の酸素の圧力も下がっていた。計器板上のライトはまだ点灯していた。救助隊員らは濃い煙に視界を妨げられ、最初は飛行士たちの姿を確認することはできなかった。煙が薄まってきたとき、ようやく彼らは船内に遺体が横たわっているのを発見した。炎はグリソムとホワイトのナイロン製の宇宙服の一部と、宇宙服と生命維持装置をつなぐホース類を溶解させていた。船外から見て左側にある船長席のグリソムは、シートベルトを外して宇宙船の床に倒れていた。中央席のホワイトは、ハッチのすぐ目の前にいた。彼のベルトは焼き切れていた。後の検証により、ホワイトは緊急時のマニュアルに従ってハッチを開けようと試みたが、外気圧よりも船内の気圧が高かったため、内側に開く構造の内部ハッチを開けることができなかったものと断定された。


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