アブー・ヌワース
20世紀初頭の象徴主義詩人ハリール・ジブラーンが al-Fun?n 誌上で描いたアブー・ヌワース(1916年6月、ニューヨーク)
誕生Ab? Nuw?s al-?asan ibn H?n? al-?akam?
c. 756
アフワーズ、アッバース朝
死没c. 814年(57 - 58歳没)
バグダード、アッバース朝
職業詩人
言語アラビア語
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アブー・ヌワース(Ab? Nuw?s; 747年-762年生、815年頃没)は、アッバース朝期バグダードのアラビア語詩人[1]。
8世紀後半から9世紀初頭のカリフ、ハールーン・ラシードからムハンマド・アミーンの頃に活躍した(#生涯)。
同時代の清貧詩人アブー・アル=アターヒヤとは作風も好対照をなし、よく並び称される。共にアラビア語詩に新しい様式や内容の多様性をもたらした「モダン派」の代表的詩人として知られる(#作品)。
近世アラブ世界の民話の中で、その人物像や伝説が誇張や想像も交えながら語り継がれていった。『千夜一夜物語』にも「名君」というキャラクターを与えられたハールーン・ラシードの取り巻きという道化的役回りで登場する。民話上のキャラクターとしては、歴史的に交易を通じてアラブ世界と文化的に接続していたスワヒリ文化圏など東アフリカ沿岸世界にも伝播した。アフリカ民話の世界に至っては歴史上の人物としての存在から遊離し、名前もアブヌワシやアブナワスなどに現地音化してトリックスターとして活躍する。
近現代以降は、アラブ・ナショナリズムという文化運動の中で再発見されることとなった。 『千一夜物語』の登場人物アブー・ヌワースはカリフ・ハールーン・ラシードの取り巻きの一人で道化のようなキャラクターであるが、歴史上実在した人物である[2]。歴史上の人物アブー・ヌワースの実像を叙述するにあたって情報源となる文献としては、9世紀のイブン・クタイバ
情報源
上記のほかに、ハムザ・イスバハーニー(英語版)(967年没)により編纂された詩人の詩集(ディーワーン)に添えられた噂話(アフバール(フランス語版))が参照され[2]、アブル・ファラジ・イスバハーニー(961年没)の有名な『歌の書』も詩人の伝記の叙述に数ページを割いている[3]。また、詩人と同時代人アブー・ヒッファーン・ミフザミー(Ab? Hiff?n al-Mihzam?)の Kit?b A?b?r Ab? Nuw?s と、その5世紀後の辞書編纂家イブン・マンズールの同名書、すなわち Kit?b A?b?r Ab? Nuw?s も多くの伝記的情報を伝えている[3]。 出自に関しては、エジプトの歳入庁の長官が詩人自身にそれを尋ねたところ、「才能こそがわが出自であり、決して高貴な生まれではありません」と詩人は答え、長官はそれ以上詮索するのをやめた、という噂話が伝わっている(イブン・ハッリカーンによる)[4]。 「アブー・ヌワース」は通り名で、クンヤとイスムとナサブとニスバはアブー=アリー・アル=ハサン・ブン=ハーニィ・アル=ハカミー(アラビア語: ??? ??? ????? ?? ???? ?????? ???????, ラテン文字転写: ab? ?Al? al-?asan b. H?ni? al-?akam?、以下、冠詞はカナ表記から省略。)という[4][2]。イブン・ハッリカーンによると、「ハカミー」のニスバは、アブー・ヌワースの父方祖父又は曽祖父がウマイヤ朝のホラーサーン総督ジャッラーフ・ブン・アブドゥッラー・ハカミー
出自と呼び名
ヌワースの父ハーニィはウマイヤ朝最後のカリフ・マルワーン2世に仕え、アフワーズに駐屯していた兵士であり、そこでゴルバーン[注釈 1]という名の女をめとった[4][2]。