アブドッサラーム・アーリフ
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アーリフは事前にイラク革命指導評議会のリーダーに選ばれており、クーデター成功後に多くの人の支持を受けて大統領に就任した[2]

アーリフは大統領に就任したものの、実質的な権限はバアス党出身のアフマド・ハサン・アル=バクル首相に握られていた。しかし、直後にバアス党内で対立がおき始め、党内結束が弱まった。その状況に乗じ、同年11月にアーリフは軍やナセル主義者と共にバアス党に対するクーデター(1963年11月イラククーデター)を図り、左派ナショナリストグループを追放し、バアス党国民防衛隊民兵の本部を爆撃した上でアル=バクル首相らを拘束した。

アーリフは新しい内閣を構成し、バアス党員も入閣させたが、閣僚の多くはナセル主義者の軍人や官僚だった。また、多くの主要ポストを兄のアブドッラフマーンに与え、首相にはターヒル・ヤフヤーを任命した[3]。1964年秋には、バアス党が巻き返しを図るために立てていたクーデター計画を事前に察知し、首謀者のサッダーム・フセインらバアス党員を逮捕した。

1964年5月26日、エジプトと合同大統領評議会を立ち上げた。7月14日革命記念日には、イラク版のアラブ社会主義連合(ASU)を結成し、「アラブ社会主義に基づくアラブ国家の統一」を掲げた。エジプトのアラブ社会主義連合(ASU)と同様に、多くの汎アラブ主義勢力を糾合した[3]。また、エジプトとの統合を見据え、全ての銀行や30を越える産業を国有化し、12月20日には統合のためのプランを発表した。しかし、1965年7月になると、ナセル主義者の閣僚が相次いで辞職し[4]、アーリフもインフラストラクチャー整備などイラクの国家の基盤作りのほうに力を入れ始めた[5]

1966年、搭乗していたイラク空軍の短距離旅客機デ・ハビランド DH.104 ダブがイラク南部に墜落し、死亡した。当初はヘリコプター事故と報告されていた。事故原因はイラク軍内のバアス党派によるサボタージュであるといわれている[6] 。事故後、アブドッラフマーン・アル=バッザーズ首相が3日間のみ大統領職にあったが、最終的に兄のアブドッラフマーンが大統領職を継承した。
家族に関して

2004年12月13日、彼の娘であるサナ・アブドッサラーム・アーリフが、何者かによって、バグダードの自宅で夫と共に殺害された[7]。孫に当たる彼女らの息子(当時22歳)ラファルも、事件当時に拉致された後、殺害された[7]
脚注.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、アブドッサラーム・アーリフに関連するカテゴリがあります。[脚注の使い方]^ Ismael, Ismael, and Abu Jaber, 1991, pp.158-159.
^ a b Ismael, Ismael, and Abu Jaber, 1991, p.163.
^ a b Ismael, Ismael, and Abu Jaber, 1991, pp. 164-165.
^ Ismael, Ismael, and Abu Jaber, 1991, p. 166.
^ Tripp, Charles. A History of Iraq, p. 177.
^"Abdel-Rahman Aref, 91, Former Iraqi President, Is Dead" The New York Times. August 25, 2007.
^ a b Iraqi voter registration site attacked CNN. 2004-12-18.

公職
先代
ムハンマド・ナジーブ・アッ=ルバーイー イラク共和国大統領
第二共和政第2代:1966 - 1968次代
アブドッラフマーン・アル=バッザーズ
(代行)

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