しかしすぐに、汎アラブ主義者のアーリフとイラク共産党から支持を受けたイラク・ナショナリストのカーシムとの間で、対立が起きはじめた。アーリフは、エジプトのナセル大統領がシリアと形成したアラブ連合共和国との統合を提案したが、カーシムはそれに反対した。その結果、両者の間での権力闘争へと発展し、同年9月12日にカーシムがアーリフの職を解任した。アーリフは駐ボン大使に任命されたがその辞令を拒否し、11月4日にバグダードに戻った。反乱計画を立てた疑いで逮捕され、1959年2月に死刑を宣告されたが、1961年11月に釈放された[2]。 1963年2月3日、バアス党、軍、その他汎アラブ主義グループらによるクーデターが起き、カーシム政権は打倒された(ラマダーン革命)。カーシムは即決裁判にかけられた上で処刑された。アーリフは事前にイラク革命指導評議会のリーダーに選ばれており、クーデター成功後に多くの人の支持を受けて大統領に就任した[2]。 アーリフは大統領に就任したものの、実質的な権限はバアス党出身のアフマド・ハサン・アル=バクル首相に握られていた。しかし、直後にバアス党内で対立がおき始め、党内結束が弱まった。その状況に乗じ、同年11月にアーリフは軍やナセル主義者と共にバアス党に対するクーデター(1963年11月イラククーデター)を図り、左派ナショナリストグループを追放し、バアス党国民防衛隊民兵の本部を爆撃した上でアル=バクル首相らを拘束した。 アーリフは新しい内閣を構成し、バアス党員も入閣させたが、閣僚の多くはナセル主義者の軍人や官僚だった。また、多くの主要ポストを兄のアブドッラフマーンに与え、首相にはターヒル・ヤフヤーを任命した[3]。1964年秋には、バアス党が巻き返しを図るために立てていたクーデター計画を事前に察知し、首謀者のサッダーム・フセインらバアス党員を逮捕した。 1964年5月26日、エジプトと合同大統領評議会を立ち上げた。7月14日革命記念日には、イラク版のアラブ社会主義連合
大統領就任後
1966年、搭乗していたイラク空軍の短距離旅客機デ・ハビランド DH.104 ダブがイラク南部に墜落し、死亡した。当初はヘリコプター事故と報告されていた。事故原因はイラク軍内のバアス党派によるサボタージュであるといわれている[6] 。事故後、アブドッラフマーン・アル=バッザーズ首相が3日間のみ大統領職にあったが、最終的に兄のアブドッラフマーンが大統領職を継承した。 2004年12月13日、彼の娘であるサナ・アブドッサラーム・アーリフが、何者かによって、バグダードの自宅で夫と共に殺害された[7]。孫に当たる彼女らの息子(当時22歳)ラファルも、事件当時に拉致された後、殺害された[7]。
家族に関して
脚注.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、アブドッサラーム・アーリフに関連するカテゴリがあります。[脚注の使い方]^ Ismael, Ismael, and Abu Jaber, 1991, pp.158-159.
^ a b Ismael, Ismael, and Abu Jaber, 1991, p.163.
^ a b Ismael, Ismael, and Abu Jaber, 1991, pp. 164-165.
^ Ismael, Ismael, and Abu Jaber, 1991, p. 166.
^ Tripp, Charles. A History of Iraq, p. 177.
^ ⇒"Abdel-Rahman Aref, 91, Former Iraqi President, Is Dead" The New York Times. August 25, 2007.
^ a b Iraqi voter registration site attacked
公職
先代
ムハンマド・ナジーブ・アッ=ルバーイー イラク共和国大統領
第二共和政第2代:1966 - 1968次代
アブドッラフマーン・アル=バッザーズ
(代行)
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