別の見解では、パキスタンのアシュファーク・パルヴェーズ・カヤーニー将軍が、一連のターリバーン幹部逮捕を利用して、11月に予定されていた自身の退任時期を延長しようと目論んでいたとされている。アメリカの政策立案者の間で自身の地位を高め、パキスタン政府に米国から退任を引き止めるよう圧力がかかるという論理である。[35] アフガニスタン政府はバラダルと秘密交渉を行っていたとされており、バラダルの逮捕はカルザイ大統領を激怒させたと言われている[36]。パキスタンは正式に要請されればバラダルをアフガニスタンに引き渡すと繰り返し主張し[37]、引き渡しが進行中だったが[38]、2012年11月に予定されていたパキスタンによるターリバーン幹部釈放のリストからバラダルは明確に除外された[39]。 バラダルの逮捕後、ムッラー・アブドゥル・カユム・ザキールがターリバーンの軍事指導者となった。2011年11月23日、バラダルを除く9人のターリバーン指導者が釈放された。[40] 2018年10月25日、ターリバーンはパキスタンがムッラー・バラダルを釈放したことを確認した[41]。バラダルはその後、カタールのドーハにあるターリバーン外交事務所の責任者に任命された[42]。ワシントン特使のザルメイ・ハリルザドは、バラダルは米国の要請で釈放されたと主張した[7]。 2020年2月、バラダルはターリバーンを代表してアフガニスタンからの米軍撤退に関する協定(ドーハ合意)に署名した[43]。同年3月3日には、トランプ大統領と電話会談を行い、ターリバーン幹部として初めてアメリカ大統領と公に接触した人物となった[44]。 しかし2021年3月、バイデン大統領は、協定で求められた5月1日までにアフガニスタンからすべての米軍を撤退させることは「厳しい」と述べた[45]。 2021年5月よりアメリカ軍がアフガニスタンからの撤退を本格化させたことでターリバーンは攻勢に転じ、8月15日にはカーブルを陥落させ全土を制圧した後、バラダルはカタールのドーハから勝利宣言のビデオメッセージを発表し[46]、8月17日にはアフガニスタン帰国を果たした[8]。バラダルがアフガニスタン大統領になるのではないかとも推測されている[47][48]。 8月23日、極秘裏にカーブル入りしたバーンズCIA長官と会談したことが報じられる。会談内容は明らかにされていないが、新政権発足後もアメリカとの窓口役を果たしている姿を見せた[49]。 9月7日にターリバーンは暫定政権の閣僚を発表し、バラダルは副首相に就任した[4]。 2021年7月、ターリバーンの代表団が訪中し、外相の王毅と会談。王毅と会談したアブドゥル・ガニ・バラダルは、「中国はアフガン人民が信頼できる友人だ」と述べた[50]。
余波
釈放米国の代表ザルメイ・ハリルザド(左)とバラダル(右)は、2020年2月29日にカタールのドーハでアフガニスタン和平協定に署名
2021年のターリバーン復権
対中関係ターリバーンと会談した中国外相の王毅
関連項目
ムハンマド・オマル
オバイドラ・アフンド
ムッラー・ダードゥラー
特別行動センター (中央情報局)
脚注[脚注の使い方]^ “Taliban-led insurgency leaves 3 dozen dead, injured in Afghanistan