アフリカ
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

ジュラ紀には、アフリカでは竜脚下目鳥脚目などの恐竜が広い範囲で隆盛を極めた[13]。中期の研究はあまり進んでいない[13]。後期も発掘は遅れている[13]が、数少ない例外に当るタンザニアのテンダグル層(英語版)では、北アメリカ西部で見つかったモリソン層(英語版)の古生物学的様相(英語版)と非常に近似したところが見られた[13]スピノサウルスはアフリカを代表する肉食恐竜である。

1億6千年前-1億5千年前の中生代の中頃、ゴンドワナ大陸には後のインド亜大陸マダガスカルが繋がっていた。そのため、マダガスカルからはアベリサウルス(英語版)やティタノサウルス上科(英語版)の化石が発見される[13]。 その後、白亜紀初期にインドとマダガスカルは分離を始め、後期にはこの2つの陸塊も分離して現在に至る[13]。中生代、マダガスカルとアフリカ大陸の相対的な位置には変化が無かった。その一方でパンゲア大陸そのものの変化は進行し、白亜紀後期の初め頃には南アメリカがアフリカから分離し、南大西洋が形成された[13]。この出来事は海流の変動を呼び、地球規模の気候形成に影響を与えた[13]

この白亜紀には、アロサウルス類(英語版)や最大の肉食恐竜として知られているものを含むスピノサウルス類(英語版)などが繁栄していた[13]ティタノサウルス属(英語版)は当時の生態系の重要な草食動物であった[13]。アフリカでは、発掘された白亜紀の遺物は多いがジュラ紀のそれは少なく、今後の調査が待たれる[13]
先史時代アウストラロピテクス・アファレンシスルーシー。この骨は1974年11月24日、エチオピアのアファール盆地アワッシュ川下流域で発見された。詳細は「アフリカ単一起源説」および「ミトコンドリア・イブ」を参照

ほとんどの古人類学者は、人類はアフリカで生まれたという説を採っている[14][15]。アフリカは大陸移動や地殻変動から、大規模な気候変動を繰り返していた。人類の発生は約4000万年前に遡る東部での隆起帯が形成され、乾燥化が進展したことが要因にあると考えられる。「イーストサイドストーリー」では、豊かなコンゴ盆地森林から一部のサルが乾燥したサバンナへ分かれ、進化が始まったという[16]

南アフリカのヨハネスブルグ北部などが人類が初めて住んだ場所と考えられる[14]。20世紀中頃には、人類学者たちは既に700万年以上古い人類の化石や生存の証拠類を発見していた。化石は、いく種もの類人猿に近い人類のものが発見され、放射年代測定から紀元前390-300万年頃に生きたと考えられるアウストラロピテクス・アファレンシス[17]や紀元前230-140万年頃のパラントロプス・ボイセイ(英語版)[18]、紀元前190-60万年頃のホモ・エルガステル[5]が人類へ進化したと推察される。先史時代、他の大陸と同様にアフリカに住む人類は、国家を持たず、現代のコイコイ人サン人のように狩猟採集社会の集団をつくって生活していた[19][20][21]

アフリカはおおまかに、氷河期に乾燥して砂漠が拡大し、間氷期には森林が拡大するという循環を繰り返していた。20000年前頃には拡大をしていたサハラ砂漠は、12000年前頃には縮小に転じ、森林地帯の広がりとともにチャド湖など湖水の面積も大きくなった。この北部アフリカの「緑のサハラ」地域で人類は、狩猟や漁撈またの牧畜[22]なども行っていた。

しかし5000年前頃から乾燥化が急速に始まり[23]、砂漠の拡大と生存可能域の縮小に伴って人類は熱帯性気候の西[23]や南、ナイル川流域などに移住して行った[16]
エジプト・地中海文明の発生詳細は「アフリカ史」を参照

アフリカを歴史的、文化的に大きく区分すると、北アフリカの文化圏、西アフリカの文化圏、東アフリカの文化圏に区分される。東アフリカがコプト正教会のエチオピアとイスラム教のインド洋沿岸部と大きく区分されるほかは、西アフリカで独特なアニミズムの伝統が濃厚に残ってきたにもかかわらず、イスラム文化圏であったことが共通している。アフリカの地図(G. and I. Blaeuによる1648年の地図) ポルトガル人のヴァスコ・ダ・ガマがインド洋航路を発見した150年後に制作された。海岸線は正確だが、内陸部、特に河川の流路に関する情報が極端に不足していたことが分かる。例えばナイル川が南部アフリカに達しており、ニジェール川の流路は全く異なっている。冒頭の地図と比較されたい。

最古の史料が残っているのはファラオによる支配が始まったナイル川流域の古代エジプト王国であり、紀元前3300年頃の文字記録が発見されている[24]。これは世界最古の文明の一つで[25][26]ヒエログリフから派生したワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字原カナン文字)は世界の殆どのアルファベットの起源になったとされる。紀元前2900年頃、メネス王が上下エジプトを統一して以来、古王国時代に築かれたピラミッドでも世界的に知られている。紀元前1000年頃には製鉄技術が北アフリカにも伝播し、急速に広がってブラックアフリカ北部まで鉄器が使われるようになった[27]

一方、チュニジアでも紀元前800年頃にフェニキアの植民都市としてカルタゴが築かれ、経済大国となった。紀元前146年にカルタゴは共和政ローマに滅ぼされ、ローマ支配下のアフリカ属州となった。5世紀、ローマ帝国が弱体化し、ゲルマン民族の大移動の時代に、チュニジアでは、ヴァンダル族が、429年、カルタゴの故地にヴァンダル王国を建設したが、地中海世界の再統一に燃える東ローマ帝国によって534年に滅ぼされた。しかし、東ローマ帝国の北アフリカ支配も長くは続かず、636年、パレスチナのヤルムク河畔で日の昇る勢いのイスラム帝国正統カリフ)に敗れると、エジプトを奪われ、北アフリカはウマイヤ朝時代にイスラム勢力の支配下に入った。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:197 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef