1960年のいわゆる「アフリカの年」ごろからヨーロッパの植民地から次々に独立国が誕生したが[30]、独裁政治の発生や内戦などの問題を抱えつつ今日に至っている。なお、政治的統合をして、新植民地主義への対抗や民主主義の促進、アフリカ地域の国際的地位向上などを目指し1963年5月に発足したアフリカ統一機構(OAU)が、2002年7月9日には発展解消してアフリカ連合が成立した[30]。これは、個々の国を超えた枠でのアフリカ政治の中心的役割を担い、今日でも紛争、貧困、エイズなど山積みする問題の解決や国際的地位の向上を目指している[30]。
地理詳細は「アフリカの地理」を参照現在のアフリカ
北は地中海、西は大西洋、東はインド洋および紅海に面する[39]。南端のアガラス岬で大西洋とインド洋が接する。南北約8,000km[40]、東西約7,400km[41]。海岸線は総延長26,000kmである[41]。かつてはスエズ地峡によりユーラシア大陸とつながっていたが、現在ではスエズ運河が開通して分断され[42]、この運河がアフリカとアジアの境界と受け取られる場合もある[43]。
大陸北側に世界最大の砂漠であるサハラ砂漠をもち、これによって大陸は大きく二つに分けられる。また大陸東部にはパンゲア大陸がゴンドワナ・ローラシア大陸に分裂したときの名残である2,000kmの隆起地帯(ドーミング)と、それを東西に切り裂く世界最大長のアフリカ大地溝帯(東アフリカ地溝帯)が南北に走る[44]。この南端にはアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山(5,895m)があり、これは他の五大陸最高峰が非火山であるのに対し唯一火山活動で形成されたものである[44]。大地溝帯には複数の火山や東アフリカ大湖沼群[45]があり、西側で接するエチオピア高原などの高地部分にもニアムラギラ山(英語版)やニーラゴンゴ山などの活火山や[44]ヴィクトリア湖などの古代湖が残る[45]。しかしアフリカ大陸全体で、標高500m以上の領域は半分程度に過ぎない。理由はこれも大陸移動が関係しており、アフリカはパンゲア大陸の中心部として移動した距離が短く、山脈が形成されにくかったことが挙げられる[39]。マダガスカルを始めとした6つの島国が存在する。 アフリカ大陸全般の経済成長で自然保護区が設置されるものの、依然として色濃く豊かな自然、人類学術的な側面から、生物の多様性とヒトを含めたその起源の候補地とされている。 気候は多様である。ほぼ赤道直下に位置する大陸中央部は西部のギニア湾沿岸から大陸中部のコンゴ盆地にかかる熱帯雨林で高温多湿な地域が広がり、これを挟んでセレンゲティ高原などのサバンナ地域が広がる。さらに高緯度に向かうと砂漠気候域に入り、北にはサハラ砂漠、南にはカラハリ砂漠が広がる。大陸北端と南端は地中海性気候域となる[46]。 アフリカの多くの国々は情勢が非常に不安定であり、ヨーロッパなどに比べると遙かに治安が悪い地区が多い。政治的に安定している国はごくわずかである。イギリスの雑誌『エコノミスト』は、2008年にアフリカ各国の政治情勢を民主主義達成度から分析し公表した。これによると、対象50カ国(ソマリア、セーシェル、サントメ・プリンシペ及び西サハラ、ソマリランドは含まれない)のうち、完全な民主主義を実現している国はモーリシャスただ1国で、6カ国は欠陥のある民主主義、9カ国は独裁と民主政の混合状態、28カ国は完全な独裁体制と分析されている[47]。 このような体制が出来上がった背景には、植民地支配の影響がある。
動植物
マルーラ - アフリカ各地に分布する植物の一種でウルシ科に属する。分布地域では伝統的に食品や油として利用して来た歴史がある。
ケイアップル - アフリカの原生植物の一つでヤナギ科に属する。グレイト・ケイ川流域からアフリカ大陸東海岸沿いにかけて栽培されており、原産地は南アフリカとなっている。
気候
政治ソマリアで放棄された戦車。長期化する内戦は解決の糸口を見出せない。食糧配給に列をなすソマリアの人々。