アフリカ
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この言葉はフェニキア語の「afar」(「dust」の意)に結びつけられがちだが、1981年にはベルベル語の「洞窟に住む人々」を指す「ifri」が転じたものという仮説が提示された[8]。これら「afar」[8]「ifri」「Afri」は現在のアルジェリアおよびリビアに住むベルベル人のことである[9]。ほかに、カルタゴ人が使っていたファラカ(faraqa:植民地の意)の変形または転訛という説や先住民の一部族アフェル(Afer、複数形Ifei)に由来するという説もある[10]。他にも様々な仮説が提唱されており、歴史家レオ・アフリカヌス(1488年 - 1554年)は、ギリシア語の「phrike (φρ?κη)」(「寒い」または「怖い」の意)に否定を意味する接頭辞 a-(α-)が上接し、寒さや恐れが無いところを意味する「aphrike (Αφρικ?)」となったと主張した。またジェラルド・マッセイ(英語版)は1881年に、エジプト語の「af-rui-ka」が語源だとの仮説を発表した。それによると、「af-rui-ka」は「カーの始まりに回帰する」を意味する。この「カー」は「すべての人々」と、カーの始まりという用法で「子宮・生誕地」両方の語源である。エジプト人にとってアフリカとはまさに「誕生したところ」を意味する[11]

起源が上述のいずれの説であるにしろ、ローマ時代、カルタゴがアフリカ属州になると、ラテン語で「アフリカ人の土地」を表す「Africa terra」[12](「-ca」は形容詞化接尾辞女性形)から「Africa」という語形が生じた。これが現在の『アフリカ』という言葉の直接の始まりである。その後、サハラ砂漠以南についての人類の知見が広がるに従い、サハラ砂漠の南北を含めて一つの大陸の名となった。

アイルランド語の女性名 Aifric は Africa と英語化されるが、地名とは関係が無い。
歴史「アフリカの歴史学(英語版)」も参照
アフリカの形成アフリカの古竜脚類/基盤的竜脚形類であるマッソスポンディルス

中生代初期、アフリカは他の大陸と同じく超大陸パンゲアを形成した[13]。その状況下で、獣脚類竜脚形亜目また原始的な鳥盤類が、三畳紀終わり頃まで繁殖していた。これらの化石はアフリカのいたるところで発見され、特に南部で顕著に見られる[13]。三畳紀とジュラ紀を分ける地球規模の絶滅を示す発掘は、アフリカではあまり行われていない[13]

初期ジュラ紀の地層は三畳紀後期と重なって分布し、南部で多く露頭する。しかし化石層は南部では少なく、北に行くほどその数は優勢になってゆく[13]。ジュラ紀には、アフリカでは竜脚下目鳥脚目などの恐竜が広い範囲で隆盛を極めた[13]。中期の研究はあまり進んでいない[13]。後期も発掘は遅れている[13]が、数少ない例外に当るタンザニアのテンダグル層(英語版)では、北アメリカ西部で見つかったモリソン層(英語版)の古生物学的様相(英語版)と非常に近似したところが見られた[13]スピノサウルスはアフリカを代表する肉食恐竜である。

1億6千年前-1億5千年前の中生代の中頃、ゴンドワナ大陸には後のインド亜大陸マダガスカルが繋がっていた。そのため、マダガスカルからはアベリサウルス(英語版)やティタノサウルス上科(英語版)の化石が発見される[13]。 その後、白亜紀初期にインドとマダガスカルは分離を始め、後期にはこの2つの陸塊も分離して現在に至る[13]。中生代、マダガスカルとアフリカ大陸の相対的な位置には変化が無かった。その一方でパンゲア大陸そのものの変化は進行し、白亜紀後期の初め頃には南アメリカがアフリカから分離し、南大西洋が形成された[13]。この出来事は海流の変動を呼び、地球規模の気候形成に影響を与えた[13]

この白亜紀には、アロサウルス類(英語版)や最大の肉食恐竜として知られているものを含むスピノサウルス類(英語版)などが繁栄していた[13]ティタノサウルス属(英語版)は当時の生態系の重要な草食動物であった[13]。アフリカでは、発掘された白亜紀の遺物は多いがジュラ紀のそれは少なく、今後の調査が待たれる[13]
先史時代アウストラロピテクス・アファレンシスルーシー。この骨は1974年11月24日、エチオピアのアファール盆地アワッシュ川下流域で発見された。詳細は「アフリカ単一起源説」および「ミトコンドリア・イブ」を参照

ほとんどの古人類学者は、人類はアフリカで生まれたという説を採っている[14][15]。アフリカは大陸移動や地殻変動から、大規模な気候変動を繰り返していた。人類の発生は約4000万年前に遡る東部での隆起帯が形成され、乾燥化が進展したことが要因にあると考えられる。「イーストサイドストーリー」では、豊かなコンゴ盆地森林から一部のサルが乾燥したサバンナへ分かれ、進化が始まったという[16]

南アフリカのヨハネスブルグ北部などが人類が初めて住んだ場所と考えられる[14]。20世紀中頃には、人類学者たちは既に700万年以上古い人類の化石や生存の証拠類を発見していた。化石は、いく種もの類人猿に近い人類のものが発見され、放射年代測定から紀元前390-300万年頃に生きたと考えられるアウストラロピテクス・アファレンシス[17]や紀元前230-140万年頃のパラントロプス・ボイセイ(英語版)[18]、紀元前190-60万年頃のホモ・エルガステル[5]が人類へ進化したと推察される。先史時代、他の大陸と同様にアフリカに住む人類は、国家を持たず、現代のコイコイ人サン人のように狩猟採集社会の集団をつくって生活していた[19][20][21]

アフリカはおおまかに、氷河期に乾燥して砂漠が拡大し、間氷期には森林が拡大するという循環を繰り返していた。20000年前頃には拡大をしていたサハラ砂漠は、12000年前頃には縮小に転じ、森林地帯の広がりとともにチャド湖など湖水の面積も大きくなった。この北部アフリカの「緑のサハラ」地域で人類は、狩猟や漁撈またの牧畜[22]なども行っていた。


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