アフリカ系アメリカ人
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黒人コメディアンのクリス・ロック第88回アカデミー賞授賞式で、アジア系アメリカ人をステレオタイプに描写した差別的パフォーマンスを行い、各方面から非難を浴びた[15]

2020年から2021年にかけて、新型コロナウイルスの感染拡大を契機に、中国系を中心とするアジア系アメリカ人へのヘイトクライムの被害が相次いで発生したが[16]、新型コロナウィルスの感染拡大をきっかけにしたアジア系アメリカ人に対するヘイトクライムは、黒人が加害者となってしまうケースも目立っていた[17]
ヒスパニックとの対立

黒人とヒスパニックの対立も年々深まっており、米調査機関ギャラップによる世論調査では、「黒人とヒスパニックの関係」を「良い」とした回答はわずか60%にとどまった[18]。これは「白人とアジア系の関係」を「良い」とする回答が87%であることを考えると、かなり低い数値であることが分かる。

黒人ボクサーのエイドリアン・ブローナーは、メキシコ人ボクサーのカルロス・モリーナを差別的に侮辱したとして、主催団体のWBCから出場停止処分を受けた[19]

2012年12月20日にはマイケル・ブラウン射殺事件エリック・ガーナー窒息死事件への報復として、ヒスパニックと中国系アメリカ人の警官が黒人男性に襲撃され、そのまま犠牲となった[20]
評価と反応パレード中に車から降りて歩くオバマ大統領と、ファーストレディーのミシェル・オバマ

アフリカ系アメリカ人で有名になった者はアフリカからは尊敬されており、例えばバラク・オバマは父の故郷ケニアでは英雄視され、その夫人のミシェル・オバマは黒人奴隷の子孫である影響で奴隷貿易の拠点のケープ・コースト城の訪問では熱烈に歓迎を受けており、さらにケニアやアメリカで「オバマ」「ミシェル」と子供に命名する親が急増した。

アフリカ系アメリカ人は世界一の経済大国で育った影響に加えて、奴隷制時代の歴史的経緯から白人との混血も少なくないことから白人扱いされる例がある。例えばアパルトヘイトを行っていた南アフリカ共和国では名誉白人と扱われていた事があった。また白人社会で育った影響でアフリカ本土の黒人とは摩擦が起きており、黒人奴隷のために建国したリベリアに移住した者、つまりアメリコ・ライベリアンは1847年の独立から1980年までリベリアの政治・経済を支配し原住民を見下した事でリベリア国内の対立の火種となった。

一方アメリカを敵視する反米思想の持ち主からは『白人に媚びる黒人』『裏切り者』として軽蔑の対象とされている。例えば反白人感情をあおったロバート・ムガベは自国を批判したライスを「白人の奴隷」「アンクル・トムの娘」と揶揄し、反ブッシュ的なハリー・ベラフォンテはブッシュ政権の黒人閣僚を「白人に媚る奴隷」と揶揄し、反米組織のアルカーイダのナンバー2であるアイマン・ザワーヒリーはオバマとライスとパウエルを「ハウス・ニグロ」と呼んだ。
他国のアフリカ系国民との比較バラク・オバマ大統領とミカエル・ジャン総督(カナダ訪問にて)

アフリカに旧植民地を保有した影響で、イギリスやフランスには移民により多くのアフリカ系住民が住んでいる。しかしアフリカ系フランス人はスポーツ選手以外ではアフリカ系アメリカ人よりも社会進出に遅れており、未だに多くが貧困層でスラム街に住んでおり、差別への怒りに対する暴動が起きる事もある。カナダでは2.5%の78万人のアフリカ系カナダ人が存在しており、ミカエル・ジャンというハイチからのアフリカ系女性がカナダ総督に任命されている。

ベネズエラの反米的なウゴ・チャベス大統領はスペイン人、インディアン、アフリカ人の血を引くムラートメスティーソである。
スポーツ若き日のマイケル・ジョーダン

アフリカ系アメリカ人はその身体能力を遺憾なく発揮し、あらゆる競技で目覚しい活躍を見せている。

北米4大プロスポーツリーグNBANFLでは存在感が際立っている(NBA選手の約85%、NFL選手の約70%を占める)[21]。中でもバスケットボールに関しては、ヒップホップなどと並んで黒人文化の一端を担っている。「バスケットボールの神様」と呼ばれたマイケル・ジョーダンの登場後、ますます密接に結びついていった。バスケットボールは全ポジションにおいてアフリカ系選手の比率が高いが、アメリカンフットボールの場合はポジションによって比率が大きく異なってくる。NFLNCAAカレッジフットボールのような高いレベルにおいては、アフリカ系選手が優れているとされる脚力や瞬発力が要求されるポジション(RBWRCBなど)は、そのほとんどがアフリカ系選手で占められている。中でもRBはアフリカ系選手にとって花形ポジションであり、ラダニアン・トムリンソンのようなスター選手は、アフリカ系コミュニティの間で憧れの存在となっている。一方、QBキッカーパンターなどのポジションにおいてはアフリカ系選手の比率は比較的少ない。しかし、近年はマイケル・ヴィックヴィンス・ヤングに代表されるように、RB並みの脚力を武器にパスプレーよりもランプレーを持ち味として活躍するアフリカ系QB(モバイルQB)が増えつつある。

最古参であるMLBは、ジャッキー・ロビンソンの登場までアフリカ系選手を締め出していた。20世紀中頃までは、アフリカ系選手のみで構成されるニグロリーグが隆盛を誇り、黎明期は人種差別に苦しみながらも結果を残し続け、やがてMLBに不可欠となっていく。フランク・ロビンソンが初のアフリカ系監督になったものの、近年はアフリカ系アメリカ人の減少が目立っている。1995年頃から減少し続け、2006年には8.4%まで下がった。2009年には久々に増加に転じて10.2%となったものの[22]、危機感を抱いたMLBはアフリカ系選手の開拓に乗り出している[23]。また、カーティス・グランダーソン[24]トリー・ハンター[25]リッキー・ウィークスビル・ホール[26] らのように、多くの現役選手がアフリカ系コミュニティへの普及活動を積極的に行っている。アフリカ系アメリカ人の野球選手は、ケン・グリフィー・ジュニアバリー・ボンズに代表される走攻守揃った5ツールプレイヤーや、リッキー・ヘンダーソンケニー・ロフトンのような盗塁数を積み重ねる俊足選手が多い。ポジション別では外野手がずば抜けて多く、とりわけ中堅手が大半を占める。

同じく一角であるアイスホッケーは、アフリカ系選手の数が極めて少ない。2009年4月の時点では、NHL全体でアフリカ系アメリカ人選手は7人しかいない[† 5]


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