アフリカ系アメリカ人
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4578万9188(14.1%)(2017年)[1]
居住地域
アメリカ合衆国
言語
アメリカ英語黒人英語南部アメリカ英語カリブスペイン語ハイチ語フランス語系のクレオール言語)、ブラジルポルトガル語
宗教
ほとんどがプロテスタント、一部はカトリック、稀にイスラーム
関連する民族
ブラック・インディアンアメリコ・ライベリアン、アフリカ系ラテンアメリカ人

アフリカ系アメリカ人(アフリカけいアメリカじん、: African-American[† 1])は、アメリカ合衆国民のうち、アフリカ出身の黒人(ネグロイド)もしくはその子孫であるものたちを指す呼称。アフリカン・アメリカン、アフロアメリカン (Afro-American[† 2])、アメリカ黒人ともいう。

アフリカ系アメリカ人という言葉には黒人(ネグロイド)を意味する語は含まれないが、コーカソイドに属する北アフリカ系アメリカ人(アラブ人ベルベル人の子孫)や、ヨーロッパ系アフリカ人(アフリカーナーアングロアフリカンなど)の子孫を含まない。
概要

大半は、19世紀半ばの南北戦争以前にアフリカサハラ砂漠以南のブラックアフリカ)から奴隷貿易により米国へ連れてこられた奴隷子孫であるが、より新しい時代に自由な移民として渡米した者やその子孫も存在する。彼らをアフリカ系 (African) と呼ぶべきかどうかについて、また、黒人 (Black) と呼ぶべきかどうかについては、論争がある。中米に奴隷として送られたのちに移民として渡米するなど、より複雑な経緯を持つ者もいる。

奴隷として連れて来られた際は出身集団や民族集団が異なっていたが、奴隷制度によって民族・文化的なつながりが乏しくなっていき、また、長い年月によって混血も進んだため、民族集団としてではなく、アメリカ合衆国に在住する黒人の人種コミュニティとして度々用いられる(米国内の黒人人種比率: 12.9%、2005年)。

アフリカ系アメリカ人は、長い間人種差別の対象とされ苦難の道を歩んできたが、現在はブラジルなど他のヨーロッパ系主体の移民国家のアフリカ系住民より社会進出が進み、ホワイトカラー軍人、音楽家や俳優スポーツ選手として活躍する場合も多く、多数の閣僚を輩出するなど、国政の中枢にまで上がりつめるようになっている。
呼称

以前は「ニグロ (negro[† 3])」や「ニガー (nigger[† 4])」などとも呼ばれたが、これは1960年代公民権運動の高まり(ブラック・パワー)以来差別用語とされている。その一方、アフリカ系アメリカ人男性同士の人類同胞主義の表現として「ニガ (nigga)」が使われる事も多々あり、その傾向は特にラップにおいて顕著である。しかし日本人などの黄色人種白人系アメリカ人を含め、アフリカ系アメリカ人以外の者達がこの表現を使う事は差別的言動とみなされる。

民族的回帰運動でもある「ブラック・パワー」を提起した黒人たちは、「ブラック・イズ・ビューティフル(黒は美しい)」をスローガンに掲げ、白人から否定され、自らも否定してきた黒人の人種的特徴を「黒人らしさ」として逆に強調し、彼らの民族的アイデンティティーを主張する表現のひとつとしてアフロヘアーという髪型も生み出した。彼らはキリスト教からイスラム教へ改宗したほか、自らを「ブラック(黒人)」と自称し、これは現在の黒人たちの一般的な自称となっている。

アメリカ陸軍においては、2014年11月8日まで軍内の規定で、黒人を指すときに「黒人もしくはアフリカ系の米国人」「ハイチ人」「ニグロ」などが使用可能であった。批判を受け、陸軍は「黒人もしくはアフリカ系の米国人」の表記のみを容認することとなった[2]
定義に関する論争

マーチン・ルーサー・キングの演説にあるようにアメリカ合衆国で単に「黒人」というときは奴隷解放宣言までに奴隷としてアメリカ合衆国に渡来したアフリカの人々の子孫を指すのが一般的である。しかし移民大国のアメリカには、現在に至ってもアフリカ、中南米カリブ海諸国から黒人の移民の流入がある。しかし、彼等は米国の手によってアフリカから連れて来られた黒人奴隷の子孫とは異なる(中南米やカリブ海諸国から流入した場合はスペインフランスイギリスなどにより連れて来られてきた黒人奴隷の子孫となる)ことから、アメリカ国籍を有さない場合は、「アフリカ系アメリカ人」という呼び名は該当しないとの指摘もある。例えば、コリン・パウエルはアフリカからジャマイカを経由し米国へ到着した移民の子孫であり、カリビアン・アメリカン(英語版)が正当な名称であるが、実際にはアメリカ国籍を持ちアフリカにルーツを持つ場合は、アフリカ系アメリカ人という名称が用いられる。

デブラ・ディッカーソン(英語版)は、黒人 (Black) という語は、アメリカ(America、アメリカ合衆国のみを指す名称ではなく両米の意味か)に奴隷として連れて来られた人々とその子孫に使用を限定すべきであると主張している[3]。また彼女は、アフリカ系 (African) についても同様の主張をしている[4]
ワンドロップ・ルール

1967年まで、一部のでは、ワンドロップ・ルールというものが使われていた。これは、16分の1、つまり自分の曽祖父に一人でもアフリカ系黒人が含まれる場合には、差別の対象者の一人とされていた。これは欧米系白人の血の方が濃い場合でも黒人の一人として分類されるという考えである。そのため、欧米系白人とアフリカ系黒人の間に生まれた子供も多くが奴隷として売られていった。例えば、第3代アメリカ合衆国大統領トマス・ジェファーソンが所有する奴隷であったサリー・ヘミングスは、4分の1だけ黒人の血を有していた。外観はほとんど白人に近く、真っ直ぐな髪を背中に垂らしていたが、奴隷とされていた[5]ケニア出身のアフリカ系黒人の父とアメリカ出身の欧米系白人の母を持つバラク・オバマが「アメリカ史上初の黒人大統領」と呼称された事からも分かるように、奴隷制度が無くなった現代でもこの考え方は残り続けており、消滅したわけではない。有色人種と欧米系白人の間に生まれた子供は自動的に有色人種として分類される場合が多い。オバマは若い時期をインドネシアハワイで過ごしており、本土の多くの黒人とは少し異なった事情を持つのも事実である。

南北戦争以前の奴隷制廃止州であっても、黒人の公民権・公立学校就学・異人種間結婚を禁止、または制限する「黒人法令」が制定されていたり、黒人の血を4分の1以上ひいている人間を州内に連れ込むことを禁止した特別令を出している自由州(en:Slave and free states)はあったが、終結の後の奴隷解放で南部の多くの州でも、「白人」と「黒人」の「違い」を無理矢理維持するために、奴隷解放令以前の南部には無かった「異人種結婚禁止法」が作られる。1913年時点には、48州中で32州で、白人と黒人の結婚と性交渉は法律で禁止されていた。1952年でも、48州のうち、29州に「異人種結婚禁止法」があった。アフリカから連れて来られた奴隷の血が一滴でも混じっていることが確認された場合、その当該する人物も「黒人」としてみなされた。白人が黒人をレイプして産まれた子供も黒人として扱われ、南部では公共の場で人種隔離が続き、生活のあらゆる面で誰を黒人とし、または白人とするか、線引きもなされた。それによって、黒人は「一滴の血」による奴隷の過去と差別を共有する強いグループ意識を持つようになった。やがてマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師の登場により、彼の行いが起源となってアメリカ各地で黒人の平和的な解放運動が高まりを見せた。

現在のアフリカ系アメリカ人は他国のアフリカ系に比べると混血化が進んでおり、全体の約58%が8分の1以上、19.6%が4分の1以上、1%が2分の1以上が白人より受け継がれた血を有し、5%が8分の1以上がネイティブ・アメリカンとの混血と見られている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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