アフリカ哲学
[Wikipedia|▼Menu]
教父であり哲学者でもあったアウグスティヌス(354年、現在のアルジェリアにあたるThagaste生まれ)の母は、キリスト教徒の聖モニカであるが、彼女がアマジグ人(ベルベル人)であったため、アウグスティヌスは自らをアフリカ人(あるいはフェニキア系のカルタゴ人)と定義した[14]
西アフリカ

西アフリカにおける前近代の哲学の伝統のなかで最も顕著なものは、ヨルバ人の哲学の伝統であり、その数千年にわたる発展のなかで生まれた独特の世界観である。en:Ifa、en:Omoluabi、en:Ashe、en:Emi Omo Esoといった哲学的概念は、この体系に不可欠なものであり、その要素の総体は、ヨルバ人のあいだでItanとして知られているものに含まれている。アカン族(英語版)、ドゴン族セレール族ダホメ王国の宇宙観や哲学も重要であった。

植民地時代以前のセネガンビア(現在のガンビアセネガル)では、17世紀の哲学者en:Kocc Barma Fall(1586年生)が、セネガンビアの歴史上有名な哲学者の一人として際立っていた。彼の箴言は、セネガル人とガンビア人のあいだで現在でも暗唱されており、セネガルの大衆文化、例えばセンベーヌ・ウスマンヌ監督の映画 en:Guelwaar などにも含まれている[15][16]。その他、哲学的思考を行なった著名人として、ガンビアの歴史家en:Alieu Ebrima Cham Joofや、マリの民族学者en:Amadou Hampate Baらがいる。

ティンブクトゥを代表する学者の一人にAhmad Baba(1556-1627)がいる。彼は「人種奴隷制」と呼ばれるものに反対を唱えた[17]。現在のナイジェリアにあったソコト帝国を代表する女性哲学者・作家の一人にen:Nana Asma?u王女(1793-1864)がいる[18]
アフリカの角

アフリカの角では、第一千年紀以降、独特のエチオピア哲学(英語版)が発展したことを示す資料が数多く存在する。この伝統のなかで生まれた最も注目すべきものは、17世紀の哲学者ゼラ・ヤコブ(英語版)とその弟子ワルダ・ヘイワット(英語版)の著作である[19]。ヤコブは著作の中で、宗教、道徳、存在について論じている[20]。彼は、すべての人が自分の信仰を正しいと信じ、すべての人は平等につくられているという考えに至っている[21][22]
南部アフリカ

南部アフリカと東南部アフリカでは、バントゥー人の拡散(英語版)の後、存在の本質、宇宙、人類と世界との関係を扱う独特のバントゥー哲学(英語版)が発展したことが、これらの地域の哲学的展開に最も大きな影響を与えた。この世界観から生まれた顕著な例として、ウブントゥの哲学(英語版)の発展が挙げられる。
中部・東部アフリカ

バントゥー人の拡散(英語版)が中部アフリカ南部に到達する以前の中部アフリカの哲学的伝統は、多くがナイロート系・スーダン系諸民族の特徴を統合するものであることが明らかになっている。これは、最終的には時間の概念、世界の創造、人間の本質、そしてディンカ族の宗教(英語版)やマサイ族の宗教(英語版)、またそれと類似した伝統に見られる人類と自然との適切な関係などに確認される特有の世界観の形成につながっている。
アフリカン・ディアスポラ

前近代においてもアフリカン・ディアスポラ(英語版)的な哲学の伝統が確認されており、そのほとんどはヨーロッパやアメリカ大陸に住むアフリカ人の子孫によって生み出されたものである。アントン・ウィルヘルム・アモ(英語版)(1703?1759)は、現在のガーナにあるAwukenuから奴隷として連れて行かれ、ヨーロッパで医学と哲学の博士号を取得し、その後ドイツのマルティン・ルター大学ハレ・ヴィッテンベルクフリードリヒ・シラー大学イェーナで哲学の教授となった。
近代以降

ケニアの哲学者であるオデラ・オルカ(英語版)は、現代アフリカ哲学における四つの傾向、すなわち民族哲学、哲学的賢さ (philosophical sagacity)、民族主義的・イデオロギー的哲学、職業的哲学を区別している[23]。これらは実際には、このなかの一つ以上が要求を満たす可能性があるとを理解したうえで、アフリカ哲学というポジションへの候補者とでも呼ぶ方が現実的である(Orukaは後に、二つのカテゴリーを追加している。一つは、グギ・ワ・ジオンゴウォーレ・ショインカチヌア・アチェベオコト・ビテックタバン・ロ・リョンといった文学者の作品に代表される文学的/芸術的哲学であり、もう一つは、哲学的内容を見出すためにアフリカの言語を分析する解釈学的哲学である)。アフリカン・ディアスポラにおいては、アメリカの哲学者マウラナ・カレンガが、現代アフリカ哲学を理解するための様々な定義、特にその最も初期の源泉に関連する定義を提示している。Achille Mbembe (現代のアフリカ哲学者)

職業的哲学への顕著な貢献した人の一人にen:Achille Mbembeがいる。彼は、国家のあり方、死、資本、人種差別、植民地主義に関する思索を含む、多くの近代的テーマに取り組んでいる。彼は著作のなかで、道徳的な論調を通して、道徳的、政治的な議論に注意を喚起する。Critique of Black Reason をはじめとする最近の多くの著作において、Mbembeは、ヨーロッパを宇宙の中心ではない勢力として理解することが、哲学と社会が世界を見るべきポイントであることを示唆している。Mbembeは、一度に複数の存在世界に身を置くことを主張している。この方法は、世界を見る共感的な視点を生み出すという[24]
民族哲学と哲学的賢さ

ケニアのオデラ・オルカは賢人の哲学 (Sage Philosophy) を提案した。哲学的賢さは彼に起因するとされている。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:64 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef