アフメト3世
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大北方戦争ではスウェーデンカール12世とロシアのツァーリ・ピョートル1世がバルト海の覇権を賭けて衝突、オスマン帝国は1708年からスウェーデンとロシアそれぞれから味方に加わるよう要請されていた。ロシアとはアゾフを巡る確執があり、スウェーデンがウクライナ・コサックヘーチマンイヴァン・マゼーパを味方に付けたことを知ると主戦派がスウェーデンの同盟を主張したが、アフメト3世は同盟を拒否、ロシアがレスナーヤの戦いでスウェーデン軍を弱体化させ、ウクライナ・コサックの多くがマゼーパを見捨てロシアに留まると消極的になり、1709年に属国のクリミア・ハン国にロシアの敵対行為禁止を命じて中立化した[1]

しかし7月、ポルタヴァの戦いに敗れたカール12世が南ロシアから黒海経由でオスマン帝国に亡命すると、アフメト3世はモルダヴィアベンデルに迎え入れたが、ロシアの徹底抗戦を主張するカール12世とフランスのオスマン帝国駐在大使の宮廷工作で主戦派が対ロシア戦争を主張した。それでも大宰相のチョルルルは戦争に反対していた。スウェーデン側はチョルルルが賄賂を貰っていると非難した。結局1710年チョルルルは大宰相を解任され、アフメト3世はピョートル1世の侵攻に対抗するため1710年に宣戦布告した。

属国の1つであるモルダヴィアディミトリエ・カンテミールワラキア公コンスタンティン・ブルンコヴェアヌが帝国から独立を企てており、ピョートル1世と結んでロシア軍と合流したが、ロシア軍の侵攻に対し1711年プルート川で勝利(プルート川の戦い)、直後に結ばれたプルート条約でアゾフをロシアから返還してロシアを黒海から締め出した。属国の反乱も鎮圧され、カンテミールは所領を失いロシアへ亡命、ブルンコヴェアヌはオスマン帝国に捕らえられ処刑された。

しかし、戦闘中にピョートル1世を捕える機会があったにもかかわらず、プルート条約の締結によって講和が成立し、ピョートル1世を逃してしまう。また、締結後もロシアとの戦争を促すカール12世とも確執を深め、スウェーデンとの同盟は解消され1713年にカール12世をエディルネ近郊へ移した。翌1714年にカール12世はオスマン帝国からスウェーデン領ドイツへ移動してスウェーデンへ帰国したが、不在の間に劣勢となった戦局を覆せず戦死、大北方戦争はスウェーデンの敗北となっていった。

1714年からヴェネツィア共和国ペロポネソス半島を巡り戦争を起こし(オスマン・ヴェネツィア戦争)、1716年からオーストリアがヴェネツィア側として参戦するとオスマン帝国はバルカン半島でも戦端を開いた(墺土戦争)。1716年にオーストリアの要塞ペトロヴァラディン(ペーターヴァルダイン)を奪還しようとして遠征に向かった大宰相シラーダーリ・ダマト・アリ・パシャはオーストリア軍総司令官のプリンツ・オイゲンの前に敗死(ペーターヴァルダインの戦い)、後任のハジ・ハリル・パシャは翌1717年にオーストリア軍に包囲されたセルビアの首都ベオグラード救援に向かったが、オイゲンに敗れた上ベオグラードも奪われた(ベオグラード包囲戦)。1718年パッサロヴィッツ条約でオスマン帝国はペロポネソス半島をヴェネツィアから獲得したが、セルビア北部とワラキアの西部をオーストリアに譲りバルカン半島の領土を再度失った。以後は平和政策に転換してヨーロッパの文化を導入していった[2]
西欧文化の導入

オーストリアと敗れて講和した後は西欧諸国との修好を行い、大宰相ネヴシェヒルリ・イブラヒム・パシャ(英語版)の補佐を受けて西欧諸国の文化を積極的に取り入れ、帝国の繁栄を築き上げた。軍事支出が抑えられ財政は好転、イスタンブールを中心として建築・再開発が進められていった。

1719年にイブラヒム・パシャはオーストリアのウィーンへ使節を派遣したのを始まりとして、1720年1721年にフランスのパリ1722年1723年にはロシアのモスクワに使節を派遣してヨーロッパと修好を結び、同時に使節にヨーロッパに関する情報を集めた。指示を受けたフランス使節イルミセキズ・チェレビーはフランスの建物について詳しく書き記し、イブラヒム・パシャはこれらを参考にしてイスタンブールに西欧文化を導入、次々と新しい施設を建てた。1722年にアフメト3世の離宮としてサーダバード宮殿が造られ、イスタンブールの水路整備と共に給水用と装飾用を兼ねた泉の建物(泉亭)を建設、連日宴会が開かれ華やかな宮廷文化が芽生えていった。

書物保存のため図書館建設と活版印刷も広まり、イブラヒム・パシャの後援でイブラヒム・ミュテフェッリカが印刷所を開設、ペルシャ語からトルコ語に翻訳した本の印刷・保存が行われていった。


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