アフガニスタン
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

1776年、ドゥラーニー帝国の首都はカーブルに移され、ペシャーワルが冬の首都となった[15]が、1823年、ペシャーワルはシーク教徒に奪われた。19世紀後半、アフガニスタンは英露の「グレート・ゲーム」の緩衝国となった[16][17]。1839年から1842年にかけての第一次アングロ・アフガン戦争では、英領インドから来たイギリス軍がアフガニスタンを制圧したが、その後、イギリス軍が大敗して撤退した。1878年から1881年に起こった第二次アングロ・アフガン戦争でもイギリス領インド帝国駐留のイギリス軍が、アフガニスタンに侵攻した後に駐留し、自立支配を認めるが外交権はイギリスに委ねる条件で撤退した。1919年の第三次アングロ・アフガン戦争の後、アフガニスタンは外国の影響から独立し、アマーヌッラー・ハーンの下で君主制となる。しかし、1973年にザーヒル・シャーが倒され、アフガニスタン共和国 (1973年-1978年)が樹立された。1978年、2度目のクーデターにより、アフガニスタンは初めて社会主義国家となった。1980年代には社会主義政権とそれを支援するソビエト連邦軍と、ムジャーヒディーンの反乱軍とのアフガニスタン紛争 (1978年-1989年)が勃発した。1996年までに、国の大部分がイスラム原理主義者のターリバーンに取り込まれ、全体主義的な政権によって支配された。2001年のアメリカ軍侵攻後にターリバーンは権力から排除されたが各地で勢力を温存。政府とターリバーンとの間で続いている戦争は、アフガニスタンの人権や女性の権利に関する問題をさらに悪化させた。一般市民の殺害、誘拐、拷問など、双方による多くの虐待が行われている。2021年ターリバーン攻勢前の政府はアメリカ合衆国の軍事・経済援助に大きく依存していることから、その従属国とも言われた[18]。2021年8月15日、ターリバーンはアフガニスタン大統領府を占領、アシュラフ・ガニー大統領は国外へ亡命し、アフガニスタン・イスラム共和国政府は事実上崩壊した[19][20]

アフガニスタンの経済規模は世界第96位で、購買力平価による国内総生産(GDP)は729億ドルである。一人当たりのGDP(PPP)ではもっと低い。現今においてはテロリズム貧困、子供の栄養失調、汚職が蔓延しているだけではなく、頻繁な政権の奪取が行われる。
国名

2021年までの正式国名はアフガニスタン・イスラム共和国(アフガニスタン・イスラムきょうわこく、ダリー語: ?????? ?????? ?????????‎、パシュトー語: ? ????????? ?????? ???????‎、英語: Islamic Republic of Afghanistan)であったが、この国号を使用した政府は同年8月15日ターリバーンの攻勢によって事実上崩壊した。同年8月19日ターリバーンスポークスマンザビフラ・ムジャヒドTwitterでアフガニスタン・イスラム首長国(アフガニスタン・イスラムしゅちょうこく、パシュトー語: ? ????????? ?????? ?????‎、英語: Islamic Emirate of Afghanistan)が成立することを宣言した[21][22]

自称国名は????????? (Afgh?nist?n ; アフガーニスターン)。ペルシア語ダリー語で「アフガーン人の国(土地)」を意味する。アフガーン人とはパシュトゥーン人の別名であるが、実際にはパシュトゥーン人の割合は50%に満たず、数多くの民族が居住している。正式名称は1973年の王制打倒以来政体が変化するごとに新政権によって改められてきたが、ターリバーン政権崩壊後のロヤ・ジルガ(国民大会議)で定められた2004年憲法による正式名称はダリー語で、?????? ?????? ????????? (ラテン文字転写 : Jamh?r?-yi Isl?m?-yi Afgh?nist?n , 読み : ジァムフーリーイ・イスラーミーイ・アフガーニスターン)という。

通称アフガニスタン。漢字表記は阿富汗斯坦または亜富汗斯坦。
国旗詳細は「アフガニスタンの国旗」を参照

2023年8月15日現在のアフガニスタンの国旗は、1997年10月27日にターリバーン政府によって制定されたものである。2001年の米軍侵攻後に成立したカルザイ政権の時代に排除され、以後20年間にわたりアフガニスタン王国時代の3色旗が国旗として使用されたが、ターリバーンの政権復帰に伴いモノトーンの旗が国旗として使われるようになった。白地に黒文字で、大きくシャハーダが書かれている[23]。.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。

歴史詳細は「アフガニスタンの歴史」を参照
先史時代

紀元前10万年旧石器の文化があった。

紀元前7000年新石器の文化があった。少なくとも5万年前には現在のアフガニスタンには人間が住んでいた。9,000年前に定住生活が始まり、紀元前3千年紀のインダス文明(ショルトゥガイ遺跡)、オクサス文明(ダシュリジ遺跡)、ヘルマンド文明(ムンディガク遺跡)へと徐々に進化していった[24]紀元前3000年から紀元前2000年にかけて四大文明が起こり、都市文化が生まれつつあった。その背景には農耕文化の発展があった。アフガニスタンは、先史時代からイラン高原メソポタミアの諸文化と早くからつながりがあり、また、インダス文明とも交流があった[25]

紀元前2000年から紀元前1800年青銅器時代で、ムンディガク遺跡[注釈 1]、デー・モラシ・グンダイ遺跡が見つかっている。また、バクトリア地方から出土した数体の石製女性像が見つかっている。

紀元前12世紀、『リグ・ヴェーダ』によれば、十王戦争が勃発し、バルフからパンジャブへ侵攻した。インド・アーリア人バクトリア・マルギアナ地方を経てガンダーラに移住し、ゾロアスター教の古代宗教書『アヴェスター』に描かれている文化と密接な関係がある[27]鉄器時代のヤズ1世文化(紀元前1500?1100年ごろ)が興った[13]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:349 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef